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関東大震災の恐怖、若山牧水が随筆「地震日記」に残す 晩年過ごした沼津で被災

 晩年を過ごした沼津市で関東大震災を体験した歌人若山牧水(1885~1928年)の随筆「地震日記」を収録した短歌雑誌「創作 十月号」が、同市の若山牧水記念館に所蔵されている。津波を警戒して避難する住民や、神奈川県小田原市から九死に一生を得て避難した人々の様子などを生々しく描いている。

若山牧水の「地震日記」が掲載された「創作 十月号」と、知人に無事を知らせた自筆の絵はがき=31日午後、沼津市の若山牧水記念館
若山牧水の「地震日記」が掲載された「創作 十月号」と、知人に無事を知らせた自筆の絵はがき=31日午後、沼津市の若山牧水記念館
関東大震災の発生時の様子をルポ風に描いた若山牧水の「地震日記」=31日午後、沼津市の若山牧水記念館
関東大震災の発生時の様子をルポ風に描いた若山牧水の「地震日記」=31日午後、沼津市の若山牧水記念館
若山牧水の「地震日記」が掲載された「創作 十月号」と、知人に無事を知らせた自筆の絵はがき=31日午後、沼津市の若山牧水記念館
関東大震災の発生時の様子をルポ風に描いた若山牧水の「地震日記」=31日午後、沼津市の若山牧水記念館


 「創作 十月号」は関東大震災翌月の1923年10月に出版された。地震日記は1万2千字以上の長文で震災発生当日、牧水は伊豆半島西岸の古宇村(現沼津市西浦古宇)で宿泊していた旅館で昼食を食べ、横になっていた際に激しい揺れを感じた場面で始まる。
 ゴオーッという音が空に響き、対岸の岬が土煙を上げて海へ崩れた。道路脇の石垣も壊れ、牧水は「異常な地震」と察し、津波が来るのではと恐怖を感じた。最初、波は穏やかだったが数分後には海面が上昇。牧水が高台に逃げると、他の住民は既に避難していて海の様子を見守っていた。
 余震は何度も「ヅシン、ヅシンと揺すってきた」。地震の翌日、牧水は船に乗り、沼津市の自宅に帰った。玄関の壁が崩れていたが妻子は無事だった。自宅には牧水の安否を案じて関西などから知人が駆け付け、神奈川県から避難してきた学生を泊まらせた。
 本震から約1カ月間の出来事をつづり、最後に「われらは今なお不安な動揺の中に迷っている」と結ぶ。書籍化もされ図書館などで読むこともできる。同館事務局の大島葉子さん(60)は「牧水は地域で何が起きたのかを記録し、少しでも早く知らせたかったのだと思う。非常に分かりやすい文章で当時の光景がイメージできる」と説明する。
 (社会部・瀬畠義孝)

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