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【第1章】危機意識の低下① コロナで訓練停滞 自主防 何から始める?【東海さん一家の防災日記 南海トラフ地震に備える/いのち守る 防災しずおか】

 災害時には静岡県民一人一人が自分や家族の身を守る自助と、地域で助け合う共助の意識が不可欠だ。いざという時にどう行動すべきか。自治会・自主防災会会長の東海駿河[とうかいするが]さん(71)と妻の伊豆美[いずみ]さん(66)、長男の会社員遠州[えんしゅう]さん(36)親子、長女の小学校教諭富士子[ふじこ]さん(33)の3世代の親族をモデルに、地域や家庭での備えを紹介していく。 photo01 長女・富士子さん(33)小学校教諭/妻・伊豆美さん(66)専業主婦/すんぴー 愛犬/東海駿河さん(71)自治会・自主防災会会長 photo01 長女・かのちゃん(5)保育園年長/東海遠州さん(36)会社員/妻・三保さん(34)パート従業員/長男・竜洋君(7)小学1年 photo01 東海家家系図 地域に変化 点検もう一度  新型コロナウイルス感染症の5類移行などを受け、県内で自主防災組織の活動が再び活発化しつつある。ただ、多発する風水害への警戒に比べ、南海トラフなどで発生する地震・津波を想定した防災訓練は、コロナ禍を経てやや停滞した感がある。今春、地元自治会と自主防災会の会長に就任した東海さんは「南海トラフ地震に地域ぐるみで備えるには何から始めればいいのだろうか」と悩み、近所に住む岩井山仁[いわいやまじん]さん(68)に相談した。 photo01 岩井山仁さん(68)大学教員・元県職員
 東海さんは、大学教員で元県職員だった岩井山さんの自宅を訪ね、アドバイスを求めた。「コロナ禍の間、うちの自治会では防災訓練をあまり行ってこなかった。地震や津波への警戒心は薄れている。どうしたものですかね」
 昨年12月の地域防災訓練では、東海さんの自治会も約3年ぶりに住民参加の防災訓練を企画した。だが参加者はコロナ禍前の半分以下と少なく、消火訓練や炊き出しも久々だったため、自主防災会メンバーも用具の扱い方で戸惑っていた。
 岩井山さんは少し困った表情を見せた。「目の前の脅威が新型コロナやウクライナ紛争などに置き換わり、地震や津波は社会の話題から少し遠ざかってしまった。能登半島やトルコなどで大地震が起きても、『自分たちの地域でも起こり得る』という意識が働きにくくなっている」と嘆いた。
 県は6月、2013年度に最大10万5千人と推計した南海トラフ地震の犠牲者数を8割減の約2万2千人に下方修正した。津波避難施設の空白域が大幅に解消され、県民の早期避難意識が向上したためという。
 「地震対策が着実に進められ、リスクは低下したということですよね」と東海さん。しかし、岩井山さんは「安心しすぎるのは禁物です。まず2万2千人という人数は極めて多い。それに住民の高齢化や過疎化が進んでいるなどの地域では、高台に通じる津波用の避難階段が老朽化していたり、地震で避難階段やブロック塀が崩れたりして、いざという時に通れない―といった障害は数多く潜んでいるはずです」と注意を促した。
 東日本大震災の後、国や県は南海トラフ地震対策を進め、各地に津波避難タワーや命山などを整備した。震災から12年が経過し、地域や住民の姿は変わりつつある。「もう一度しっかり点検する時期に来ています」。岩井山さんに言われ、東海さんは対策の見直しに取り組むことを決心した。 駿河湾震源 切迫性今も photo01 東海・東南海・南海地震の想定震源域
 「最近は南海トラフ地震という言葉を聞くが、長らく『いつ発生してもおかしくない』と言われていた東海地震はもう起きないのだろうか」。疑問を抱いた東海さんは、所用で県庁を訪れた際、危機情報課の油井里美課長に聞いてみた。
 東海地震は駿河湾から本県の内陸部を想定震源域とするマグニチュード(M)8級の地震。同震源域では1854年の安政東海地震以降大規模地震は起きておらず、地殻のひずみの蓄積が認められるため地震発生の切迫性が指摘されてきた。油井課長は「今でも地震発生の切迫性がなくなったわけではありません」と強調する。
 ただ、現在はあらゆる可能性を踏まえて最大クラスの地震・津波を想定した防災対策が必要との考えから、駿河湾から日向灘(宮崎県東部沖合)まで延びる南海トラフ全体を震源域とするM9級の巨大地震を想定した対策に移行した。
 東海地震は「前兆すべり」と呼ばれる現象を伴う可能性があるとされているが、「現在の科学的知見では地震の発生時期や場所、規模を精度良く予測することは困難とされています。突発的な地震発生に日頃から備えることが重要です」と油井課長。そういえば、地震予知を前提に内閣総理大臣が「警戒宣言」を発令する仕組みは今は使われなくなり、2019年5月から「南海トラフ地震臨時情報」が出される仕組みになったと聞いたことがあるものの、「分かったような分からないような」。東海さんのもやもや感は募った。 02年にも連載 東海地震を考えた photo01 2002年に掲載されていた「東海さん一家の防災日記」
 「東海さん一家の防災日記」は、本紙の過去の特集「週刊地震新聞」の一企画として2002年4~12月に計32回掲載しました=写真=。当時のシリーズでは東海駿河さん(50)、妻の伊豆美さん(45)、長男の遠州さん(15)、長女の富士子さん(12)が東海地震の防災のために家庭で何ができるかを読者の皆さんと共に考えました。

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