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バトン いずれは地元へ DWAT 出口戦略に苦慮 復興見据えた調整力 鍵に【つなぐ 災害福祉 東日本大震災13年㊦】

 2月下旬、能登半島地震で震度7を観測した石川県志賀町では、静岡県災害派遣福祉チーム(DWAT)を地域リーダーに、北海道、愛知、滋賀のチームが活動していた。避難所の町文化ホールの一角にはDWATの相談コーナーがある。避難者の加藤富美子さん(86)がいつものように血圧を測りに来た。前日よりも少し下がっていた。「昨日は眠れましたか」。静岡DWATの梶裕一郎さん(32)がそう声をかけると、「3時間寝られたから良かった」と笑顔を見せた。

村山康子さん(右)と支援の打ち合わせをする渡辺麻由さんら静岡DWATのメンバー=2月下旬、石川県志賀町
村山康子さん(右)と支援の打ち合わせをする渡辺麻由さんら静岡DWATのメンバー=2月下旬、石川県志賀町
石川県輪島市、志賀町、金沢市
石川県輪島市、志賀町、金沢市
村山康子さん(右)と支援の打ち合わせをする渡辺麻由さんら静岡DWATのメンバー=2月下旬、石川県志賀町
石川県輪島市、志賀町、金沢市

 地震後から不眠が続き、足がもつれて歩きにくいと感じることもあるという。自宅の応急修理が完了し、2月末で退所することが決まっていた。「このまま地域に戻って大丈夫か」。梶さんには不安が残った。
 静岡県のチームに求められた最大のミッションは避難所の活動を段階的に地元支援者に移していくこと。「今いる避難者の支援に道筋を付けなければ」。静岡DWATの1期生で、DWATの事務局も務める渡辺麻由さん(39)は焦りを感じていた。静岡の活動は3月1日まで。滋賀チームにリーダーを引き継ぐが、撤退時期の判断や、避難所閉鎖を見据えた出口戦略を描く必要があった。2月下旬になっても“バトンのつなぎ先”のめどはたっていなかった。
 渡辺さんが向かったのは、志賀町の社会福祉協議会。地域福祉のキーマンを探すためだ。偶然にも、生活支援コーディネーターの村山康子さん(69)がいた。認知症サポーターチームやリハビリ体操団体の長も務め、福祉活動の中心人物でもあった。
 村山さんは「自分たちの手で地域を何とかしなければならない」と、仲間たちと避難所の巡回を既に始めていた。渡辺さんは「道が開けた」と安堵(あんど)した。村山さんを通じて町内の福祉サービスの再開状況なども把握できた。避難所で行ってきた相談支援や健康体操などの活動を「地域に受け渡していくことは十分に可能」と判断した。
 DWATの活動は直接的なケアにとどまらない。新たに福祉サービスの利用が必要か、民生委員による見守りを依頼するのか。避難者が自宅に戻ったり、仮設住宅に移ったりした後も支援が途切れないネットワークづくりが重要となる。「これが3・11でも決定的な課題だった」と、岩手県社会福祉協議会の加藤良太さん(50)は強調する。外部支援はいずれ撤退する。「だから“地元力再生の橋渡し”が必要なんです」
 ただ、日頃施設で働く福祉専門職は、地域につなぐという意識を持ちにくい。「専門職も地域福祉の担い手の一部に過ぎない」。復興期までの災害フェーズを見据え、地域視点を持った登録員の養成は、能登で浮き彫りになった課題の一つだ。
 2月下旬、岩手県社協の加藤さんはDWATの先遣隊としてようやく、孤立地区が多数発生した輪島市に入った。全国的な派遣体制ができたはいえ、発災直後から生まれる福祉ニーズに対応できているともまだ言いがたい。東日本大震災を契機に全国で整備が進んだDWAT。被災者に少しでも寄り添おうとする関係者の努力に終わりはない。
 (社会部・中川琳)

 <メモ>47都道府県の災害派遣福祉チームの中で、能登半島地震より前に、災害で活動経験があったのは静岡県を含めて15府県。地域移行の調整役を担う「地域リーダー体制」は今回初めて設け、活動実績がある府県がリーダーを務めた。石川県輪島市には2月下旬、珠洲市には3月上旬に支援が入った。道路やインフラ環境の問題だけでなく、継続的な支援に必要な人員の確保や地元自治体との調整など複数の課題があった。現場で活動するだけでなく、業務調整や事務局を担える人材の育成も必要となっている。

 

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