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福島「再生」と「爪痕」混在 上向く漁業、産業基盤構築の動きも【東日本大震災13年】

 2011年3月の東日本大震災で地震、津波、原発事故を一度に経験し、風評被害にも苦しんだ福島県。沿岸部の浜通り地域では復興が着実に前進し、さまざまな分野で地元の人たちがふるさとの活力を取り戻そうと奮闘する。一方で、事故を起こした東京電力福島第1原発の廃炉以外にも、除染で発生した土壌の最終処分や避難を続ける住民の帰還、その後の生活再建など、将来への課題が横たわる。11日で震災から13年。まちの風景には「再生」と「爪痕」が混在する。

震災と原発事故後の漁業者の取り組みを説明する石橋正裕さん(右上)、震災遺構「請戸小学校」(左上)、除染土壌が管理されている中間貯蔵施設(下)のコラージュ=いずれも2月下旬、福島県内
震災と原発事故後の漁業者の取り組みを説明する石橋正裕さん(右上)、震災遺構「請戸小学校」(左上)、除染土壌が管理されている中間貯蔵施設(下)のコラージュ=いずれも2月下旬、福島県内
福島第一原発 中間貯蔵施設
福島第一原発 中間貯蔵施設
震災と原発事故後の漁業者の取り組みを説明する石橋正裕さん(右上)、震災遺構「請戸小学校」(左上)、除染土壌が管理されている中間貯蔵施設(下)のコラージュ=いずれも2月下旬、福島県内
福島第一原発 中間貯蔵施設


 2月下旬、競りがにぎわいをみせていた浜通り北部の相馬双葉漁協(相馬市)。原釜地区青壮年部長の石橋正裕さんは「ここに至るまでのプロセスは、相当ハードルが高かった」と言葉の端々に感慨を込めた。

 ■風評被害との闘い
 原発事故により、操業自粛に追い込まれた福島県の漁業。震災翌年に試験操業が始まると、徹底したモニタリング検査を重ね、対象魚種や海域を広げてきた。
 風評被害とも闘ってきた。石橋さんにはつらい記憶がある。風評払拭を目的に福島の県産品を無料で振る舞う都内でのイベントに参加した時のこと。「食べたい」と駆け寄ってきた子どもに魚を渡すと、親が取り上げてごみ箱に捨てた。
 目の前での出来事が「ショックだった。『これが風評なんだ』と感じた」と振り返る石橋さん。こうした経験が「食べてもらえる人に安全性やおいしさをどんどんPRしていく。厳しい検査体制などももっと県外に発信するべき」という決意につながっている。昨年8月の原発処理水の海洋放出後も思いは変わらない。
 新たな挑戦にも乗り出している。沖合では近年の水温変化に伴い、タチウオなど震災前に少なかった魚種の漁獲が増えた。中でも、天然トラフグは行政や市内の飲食店を巻き込んで「福とら」の名で売り出す。持続可能なブランドとするために、35センチ未満の採捕自粛や漁期の限定、1日当たりの水揚げ尾数の制限といった資源管理にも腐心する。
 取り組みは次に続く若い漁業者のためでもある。石橋さんは震災と原発事故について「良くも悪くも意識改革を促すきっかけになった」と話し、こう実感を込める。「取るばかりではなく、資源管理をしっかりとする浜になりつつある」

 ■国家プロジェクト
 津波と原発事故は地域の雇用の場を喪失させた。新たな産業基盤の構築に向けて動き出しているのが、国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」。原発廃炉技術の開発や医療関連、航空宇宙など六つを重点分野に掲げる。
 その一つ、ロボット産業集積を目指す中核施設「福島ロボットテストフィールド」は20年3月に南相馬市に開所した。約50ヘクタール(東京ドーム10個分)の広大な敷地に、市街地インフラや災害現場といった実際のロボットの使用環境を再現した21施設が並ぶ。4月に全て埋まる予定の22の研究室には民間企業や大学などが入り、ドローンや空飛ぶクルマ、農業用ロボットの研究開発を推進する。
 復興や世界的な課題の解決に資す研究開発と成果の社会への実装、人材育成を目的に国が設立した福島国際研究教育機構(F―REI=エフレイ)は、昨年4月に浪江町に仮事務所を開いた。今後、JR浪江駅近くに本施設を整備する計画で、まちづくりでも需要な役割を担う。研究活動は外部委託から始まっていて、30年度までに自前にしていくロードマップを描く。
 観光面では22年の県内入り込み客数が4769万人となり、震災前の約85%に回復している。誘客促進の核として地元が力を入れる「ホープツーリズム」は、被災地を学びのフィールドに提供する試み。津波で半壊した校舎がほぼそのまま残る浪江町の震災遺構「請戸小学校」には県外から多くの人が訪れる。津波の脅威や、的確、迅速な判断で児童・教職員全員が無事だった当日の避難行動を知り、教訓を自らの立場に置き換えて考える場になっている。

 ■県外搬出の〝約束〟
 こうした芽吹きの裏で、復興途上の側面も残る。原発事故から13年がたっても約2万7千人(昨年11月現在)が県内外で避難生活を送り、継続的な支援は欠かせない。帰還困難区域内の6町村に設定された居住を可能とする区域「特定復興再生拠点区域」では昨年11月までに全ての避難指示が解除されたものの、インフラ・生活環境整備の進捗(しんちょく)は濃淡があるのも実情だ。
 真の復興を成し遂げるために必要な第1原発の廃炉は、いまだに道筋が見えない。除染土壌の最終処分の行方にも県民が気をもむ。
 福島県内各地に仮置きされていた除染土壌は、第1原発を取り囲む形で造られた中間貯蔵施設(大熊町・双葉町、面積約1600ヘクタール)に15年から輸送が始まり、今年1月末時点で約1376万立方メートルが搬入された。東京ドームおよそ11個が満杯になる量に相当する。「中間」と名が付く通り、45年3月までに福島県外で最終処分すると法律で定められている。
 最終処分量を可能な限り減らすため、国は現時点で全体の75%と見積もる放射能濃度が比較的低い土壌(1キロ当たり8千ベクレル以下)を公共工事などで再生利用する方針。中間貯蔵施設内で道路の盛り土にしたり、飯舘村で農地造成に生かしたりする実証事業が進む。
 ただ、環境省が首都圏3カ所で計画する実証事業は周辺住民の懸念もあって実現していない。将来的な最終処分場の選定作業では受け入れ側地域での合意形成の難航が予想される。同省は24年度中に構造などの技術的な検討のとりまとめを目指すとともに、地域とのコミュニケーションのあり方についても有識者会議から助言を受けている。
 中間貯蔵・環境安全事業中間貯蔵管理センター地域連携・広報課の千葉広明課長代理は「安全に管理され、再生利用も危険でないことを多くの方に理解してもらえなければ、持ち出しはできない」と述べ、全国からの来訪者に説明を尽くすと強調する。国と地元の“約束”まで21年。残された時間は決して長くない。
 (東京支社・関本豪)

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