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「1秒も無駄にできず」津波避難、釜石に学ぶ 当時の教諭と生徒、訓練や教育の大切さ浜松で訴え 東日本大震災12年

 東日本大震災から12年となるのを前に、岩手県釜石市の釜石東中で震災を経験した教諭と生徒が5日、浜松市内で「あの日」を語った。講師は当時同校3年の菊池のどかさん(27)=釜石市=と、元教諭の糸日谷美奈子さん(44)=千葉市=。菊池さんは、最初に避難した場所から高台に逃げた1分半後、最初の避難場所が津波に襲われたことを振り返り、「1秒も無駄にしてはいけない」と訴えた。

東日本大震災の経験や教訓を伝える糸日谷美奈子さん(右)と菊池のどかさん=5日午前、浜松市中区
東日本大震災の経験や教訓を伝える糸日谷美奈子さん(右)と菊池のどかさん=5日午前、浜松市中区
岩手県釜石市 旧鵜住居小・釜石東中
岩手県釜石市 旧鵜住居小・釜石東中
東日本大震災の経験や教訓を伝える糸日谷美奈子さん(右)と菊池のどかさん=5日午前、浜松市中区
岩手県釜石市 旧鵜住居小・釜石東中

 「釜石の教訓を静岡に」をテーマに、浜松市防災学習センターが主催した。津波から命を守り「釜石の奇跡」とも呼ばれる行動を取った体験者の生の声を聞こうと、100人以上が来場し学びを深めた。
 震災前から防災教育に熱心だったことで知られる釜石東中。糸日谷さんによると、生徒たちはかつてフィールドワークを実施した際、ハザードマップで浸水区域外とされていた学校よりも高台に過去の津波の痕跡があることを見つけていた。浸水区域外とされる場所も浸水の可能性があることを学び、マップを過信していなかったという。
 一方、校内では震災発生時、過呼吸を起こして逃げ遅れた生徒もいた。糸日谷さんは「私自身も足が震え、校舎上階に見回りに行けなかった」と回想。訓練や学習を重ねても、不測の事態が起こり得ると伝えた。
 あの日、校長は不在だった。停電で校内放送もできなかった。混乱した状況の中、それでも全員が即座に避難できた理由について、菊池さんは「先生たちも私たちも、普段からいろいろ言い合える雰囲気だった。いざという時に何をすべきか理解できていた」と説明。校内全体の風通しの良さがとっさの判断につながったと強調した。
 動画サイトで震災の出来事をよく視聴しているという浜松市内の小学校事務職員の女性(46)は講演終了後、「直接話が聞けて、当時の状況がリアルに分かった。どう生かせるか考えていきたい」と話した。

 <メモ>釜石東中の生徒たちは東日本大震災の発生直後、学校から約800メートル離れた海抜4メートルの地点に避難した。しかし、最初の避難場所は土砂崩れの恐れがあることなどから、合流していた鵜住居(うのすまい)小の児童の手を引き、約300メートル先にある海抜15メートルの高台へさらに避難。こうした瞬時の判断が津波から命を守る行動につながった。ただ、発生時に学校にいなかった児童や生徒の中には津波の犠牲になったケースもある。

 

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