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東南海地震から79年 静岡県内最大の被災地だった袋井 犠牲者追悼、児童に体験談

 太平洋戦争中の1944年に発生した昭和東南海地震から79年を経た7日、140人以上が犠牲になり、県内最大の被災地だった袋井市の各地で、犠牲者追悼や災害伝承の行事が行われた。児童20人が校舎などの下敷きになって亡くなった袋井西小では5年生81人が当時児童だった85~90歳の語り部6人から体験談を聞き、地震の恐ろしさや命を守る行動に理解を深めた。

児童に東南海地震での体験や教訓を伝える語り部=7日午後、袋井市の袋井西小
児童に東南海地震での体験や教訓を伝える語り部=7日午後、袋井市の袋井西小
昭和東南海地震の慰霊碑に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る地元住民ら=7日午前、袋井市川井の宗円寺
昭和東南海地震の慰霊碑に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る地元住民ら=7日午前、袋井市川井の宗円寺
児童に東南海地震での体験や教訓を伝える語り部=7日午後、袋井市の袋井西小
昭和東南海地震の慰霊碑に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈る地元住民ら=7日午前、袋井市川井の宗円寺

 同校では地震発生時間とほぼ同じ午後1時半ごろ、全校児童約490人が黙とうをささげた。語り部は2人ずつ5年生の3クラスに分かれ、同校の被災状況をまとめた紙芝居を使って体験を伝えた。
 木野晃さん(90)と梶本はま子さん(87)は校舎2棟が倒壊した被害や、避難時に感じた恐怖を語った。木野さんは「当時は地震について何も知らなかった。今の子は学ぶ機会がある。訓練にも真剣に取り組んでほしい」と呼びかけた。体験談を聞いた中村優月さん(11)は「地震の怖さを改めて知った。学んだことを大切にしたい」と話した。
 東南海地震の発生時は戦時下で報道管制が敷かれ、被害を詳しく伝える記録は少ない。同校での講話は29年前から行われてきたが、20人以上いた語り部が現在6人。梶本さんは「亡くなったり高齢で体験を語れなくなったりした被災者はたくさんいる。その人たちの思いも背負い、できる限り続けたい」と強調した。
 児童8人が犠牲になった三川小でも、当時2年生だった語り部2人が5年生に体験を紹介。西村和泉さん(86)は「地震は、雨だろうが夜だろうが関係なく起きる。いつか必ず大きな地震が来ることを忘れずに生活してほしい」と訴えた。
 同市川井の宗円寺では犠牲者の慰霊祭が行われた。犠牲者の名前が刻まれた境内の慰霊碑前に祭壇が設けられ、住民9人が手を合わせて追悼した。参列した檀家(だんか)の伊藤邦彦さん(66)は「慰霊祭が開かれていることを知っている人も少なくなった。犠牲者を悼む気持ちが薄れていくのはさみしい」と語った。
(袋井支局・北井寛人、社会部・瀬畠義孝)

昭和東南海地震
 紀伊半島東部の熊野灘を震源とし、マグニチュード(M)7・9の規模で発生した。県内では袋井市など中東遠地域の一部が現在の基準で震度7相当の揺れに見舞われ、軟弱地盤の地域などで住宅約1万6千戸が全半壊し、295人が死亡した。

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