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袴田さん弁護団長・西嶋氏が死去 日本の再審裁判をリード

 現在の静岡市清水区で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして死刑が確定し、静岡地裁でやり直しの裁判が続く袴田巌さん(87)の弁護団長を務める西嶋勝彦氏が7日午後11時17分、都内の病院で死去した。82歳。近年は間質性肺炎を患っていた。13日、近親者で葬儀を済ませた。同日、弁護団が会見して明らかにした。

西嶋勝彦氏
西嶋勝彦氏
袴田巌さんの再審開始が確定し、おえつを漏らす西嶋勝彦さん。日本の冤罪・再審事件に半生をささげた=2023年3月20日、都内
袴田巌さんの再審開始が確定し、おえつを漏らす西嶋勝彦さん。日本の冤罪・再審事件に半生をささげた=2023年3月20日、都内
袴田巌さん(手前)も訪れた集会で再審法改正の必要性を強調した西嶋勝彦さん=2023年5月19日、都内
袴田巌さん(手前)も訪れた集会で再審法改正の必要性を強調した西嶋勝彦さん=2023年5月19日、都内
西嶋勝彦氏
袴田巌さんの再審開始が確定し、おえつを漏らす西嶋勝彦さん。日本の冤罪・再審事件に半生をささげた=2023年3月20日、都内
袴田巌さん(手前)も訪れた集会で再審法改正の必要性を強調した西嶋勝彦さん=2023年5月19日、都内

 福岡県出身で、65年に弁護士登録。「八海事件」や「仁保事件」、「徳島ラジオ商事件」など、多くの冤罪(えんざい)事件・再審事件に関わった。静岡県内でも、89年に静岡地裁で再審無罪が言い渡された「島田事件」や、三島市で発生した「丸正事件」の再審弁護団員として活躍。冤罪事件に半生をささげた。  共闘34年「無罪」心待ちも
 7日死去した西嶋勝彦さんは1990年に袴田弁護団に加わり、2004年に団長に就いた。23年3月に再審開始が確定した際、万感の思いでおえつを漏らした。「妻が亡くなったときにも泣かなかったのに、と息子に言われた」と後に冗談交じりに振り返った。しかし心待ちにした無罪判決を見ることはできなかった。
 酸素ボンベを携え、車椅子で再審公判に通った。23年12月20日の第5回公判後には「巌さんが犯人とはとても考えられず、でっち上げの証拠によって犠牲になったことを強調できた」と総括。年明け1月5日の弁護団会議でも、力強く的確な指摘をしていたという。
 西嶋さんの急逝に、衝撃と悲しみが広がった。徳島ラジオ商事件で共に活動して薫陶を受け、袴田弁護団への協力を願い出た田中薫弁護士は「論理的で議論をまとめるのが上手。経験に裏打ちされた知識、熱意がすごかった。一つの時代が終わってしまったようだ」としのんだ。島田事件の再審弁護人だった河村正史弁護士は「さんぜんと輝く業績を残したが、そのために身を削った。日本の再審裁判をリードする重要な人物を失った」と悼んだ。
 西嶋さんは再審事件と向き合う中で再審法(刑事訴訟法の再審規定)の不備を痛感し、改正を切望した。昨年末には24年の抱負として「いっそう世論を盛り上げなくてはいけない」と語っていた。
 袴田さんの再審開始決定に対して検察が不服を申し立てていなければ、10年近く前に再審公判を始められたはずだった。袴田さんの姉ひで子さん(90)は「長い間ありがとうございましたとしか申し上げられないが、巌の無罪(判決)を聞いていただきたかった」と残念がり、小川秀世事務局長も「先生自身とても悔しいと思う。(残された)皆で力を合わせ、早く無罪を勝ち取りたい」と誓った。
 (社会部・佐藤章弘)

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