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「風雪に耐える捜査」を/伊藤鉄男 元最高検次長検事【最後の砦 刑事司法と再審 番外編 公判直前インタビュー㊥】

 1983年、無実を訴え続けた死刑囚がやり直しの裁判(再審)で初めて無罪となった「免田事件」。元最高検次長検事の伊藤鉄男氏(75)は、熊本地検時代に再審公判で主任検事を務めた。有罪立証を維持し、免田栄さん=2020年に95歳で死去=に改めて死刑を求刑。無罪判決が言い渡されると、その場で免田さんの釈放を指揮した。事件の教訓として「風雪に耐える捜査」の重要性を説く。一方、袴田巌さん(87)の再審公判で検察が有罪立証することには理解を示す。

伊藤鉄男氏
伊藤鉄男氏

 ―免田事件の再審公判で有罪立証を続けた理由は。
 「最高裁で死刑が確定した事件であり、再審開始決定の内容も本質を突いているように思えなかった。証拠は少ないけれど、総合的に考えると、有罪立証ができないわけではないと判断した。死刑再審が初めてという当時の社会では、有罪立証せずに無罪となっても、世間は完全には納得しなかったのではないか」
 ―内心はどうだったか。
 「正直に言って、自問自答しながら検事として何をすべきか考えていた。当初の捜査が不十分であることは明らかだった。勾留は10日間だけで、ほとんど取り調べていなかった。再審段階で補充捜査を行い、判決で否定はされたが曲がりなりにも新証人も現れた」
 ―袴田さんの再審担当検事も同じ心境ではないか。
 「通常の事件でも『大丈夫か』と行ったり来たりするもの。だが、有罪立証すると決めた以上、特別な事情が出てこない限りはその方針で進めるしかない」
 ―検察の有罪立証方針をどう見ているか。
 「(再審開始を認めた東京高裁決定について)後輩の中には『最高裁に特別抗告して争うべき』と言う人は少なからずいた。ただ、私は『時間の無駄。世間からメンツにこだわっているように見られる。捜査官による証拠ねつ造の可能性を指摘されたら我慢ならないのは分かるが、一から記録を読んで証拠を見直すことが大事。そのときに有罪立証するのが正しいと思うのか、しないことが正しいと思うのか、だ』と言った。“ミスター検察”と称された(元検事総長の)伊藤栄樹さんから『検察は公益の代表者。自信の持てない古い事件があれば検事自ら再審を申し立て、再審公判で白黒決着つければいいじゃないか』と聞いたことがある。なるほど、と思った」
 ―事件から1年2カ月後に現場近くのみそタンクから「5点の衣類」が見つかり、犯行着衣とされた。担当検事だったら驚くか。
 「びっくりするさ。犯行着衣はパジャマだと立証していたのだから。今までの立証と違ってしまうということは本来、それだけで信用を失う。迷惑千万な話だとも言え、複雑な心境だったのではないか。しかし、限られた人手で網羅的に完璧に捜索をすることは難しく、見落としはあり得る」
 ―「風雪に耐える捜査」に込める思いとは。
 「検事の仕事は、起訴して有罪判決を得られればそれで良いのではなく、歴史に耐えなくてはならない。裁判は怖いものだとわきまえ、可能な限り証拠を集めて分析し、相手(被疑者・被告人)の反論をしっかり聞くこと。全ては証拠だ」
 ―再審法制の不備を指摘する声が強まっているが。
 「日本は三審制。しかも再審まである。誤解を恐れずに言えば、有罪だと思って起訴した事件が無罪になることは当然あり得る。結果的に再審無罪になったとしても、社会全体から見れば法制度や運用が有効に機能していると言えるのではないか」

 免田事件 1948年12月、熊本県人吉市で祈とう師一家が襲われた。夫婦が殺害され、娘2人が重傷を負った。犯行を自白したとして免田栄さんが強盗殺人罪で起訴されたが、熊本地裁八代支部での第3回公判から全面否認に転じた。52年に死刑が確定。6度目の再審請求で80年、再審開始が決定した。地裁八代支部は83年、アリバイを認めて自白の信用性を否定し、無罪判決を言い渡した。

 いとう・てつお 1975年、検事任官。東京地検特捜部長、同検事正、高松高検検事長を経て2009年に最高検次長検事。11年、弁護士登録。山梨学院大法科大学院の教授も務めた。

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