胸騒ぎのエレキ 校内でバンド演奏、あふれた聴衆 作曲家・林哲司さん【富嶽から羽ばたく 富士高100周年①】
富士高(富士市松本)は2022年、創立100周年を迎えた。校歌にある「霊峰富嶽(ふがく)の聳(そび)ゆるところ」での青春時代を、さまざまな分野で活躍する卒業生5人が振り返る。
シンガー・ソングライターとして来年デビュー50周年を迎える林哲司さん(73)は、作曲家として数々の名曲を世に送り出してきた。最近では「真夜中のドア」が発表から40年を経て各国の配信チャートで1位を記録するなど、世界的なシティーポップブームを巻き起こしている。
生まれ育ったのは父親が製紙工場を経営する家庭。アコースティックギターを貸してくれた社員や一回り離れた兄の影響で、子どもの頃から洋楽が身近にあった。
高校で待っていたのは校舎から響くバンド演奏。「胸騒ぎするようなエレキの音。ビートルズが現れた時代、新しい音楽のスタイルを富士高で見つけてしまいました」。両親に頼み込んでエレキギターを手に入れ、先輩たちの輪に加わった。
大音量のロックに学校側はいい顔をしなかった。文化祭では講堂は使えず、校舎の外れにある教室が会場に。「生徒をあおるなと約束させられたステージは、教室や廊下に聴衆があふれました。先生たちも見に来てましたね」。進学校はおとなしそうに見えても「好奇心に偽りなく生きているところは格好良く思えました」。
文化祭が終わると、校長室に呼び出されていた先輩たちも受験態勢に入った。「この頃から作曲して歌う加山雄三さんに憧れました。日本人にもこんなことができるのかと衝撃でした」。見よう見まねでスタートした作曲は、在学中に200曲にのぼった。
周囲にたたかれてもやりたいことはやる。「現実だけ見ていたら物事は動き出さない。大いにうぬぼれてもいいから、夢をスタートさせてほしい」。過信は若さの特権ではないか、とも思っている。
はやし・てつじ 1970年代から作曲家として活動し「セプテンバー」「北ウイング」など楽曲提供多数。歌手と共にステージに立つライブシリーズも展開している。2005年、富士市などのコミュニティーFM局「Radio-f」を開局。市民踊り「富士サンバ」の作曲も手がけた。