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テーマ : 芸能・音楽・舞台

才能照らし出す魔術師のタクト 小澤征爾さん、後進育成にも力 カラヤン、バーンスタインに学び ボストン、ウィーンで響かせた

 米ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の日本人初の音楽監督を務めるなど国際的に活躍し、世界中で「マエストロ」と尊崇を集めた指揮者の小澤征爾さんが6日、88歳で亡くなった。年輪を重ねていく中で膨らませていった望みは「世界に通じる才能」を育てること。時には病身を押して、若手奏者の育成に惜しみなく力を注いだ。

2010年8月、「若い人のための室内楽勉強会」で、オーケストラを指揮する小澤征爾さん=長野県山ノ内町の「森の音楽堂」
2010年8月、「若い人のための室内楽勉強会」で、オーケストラを指揮する小澤征爾さん=長野県山ノ内町の「森の音楽堂」
小澤征爾さんを追悼し、バッハの「G線上のアリア」を演奏するボストン交響楽団=9日、米ボストン(同楽団提供、共同)
小澤征爾さんを追悼し、バッハの「G線上のアリア」を演奏するボストン交響楽団=9日、米ボストン(同楽団提供、共同)
ロバート・キャンベルさん
ロバート・キャンベルさん
2010年8月、「若い人のための室内楽勉強会」で、オーケストラを指揮する小澤征爾さん=長野県山ノ内町の「森の音楽堂」
小澤征爾さんを追悼し、バッハの「G線上のアリア」を演奏するボストン交響楽団=9日、米ボストン(同楽団提供、共同)
ロバート・キャンベルさん

 「年を取ると、教えたくなるんですよ」。記者にそう語っていた小澤さん。指揮者としての演奏活動と並行して「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」や「小澤征爾音楽塾」などを開いた。
 同アカデミーには日本だけでなく海外の演奏家を招き、合宿スタイルで室内楽を指導。2010年に食道がんのために休養した後、復帰の舞台に選んだのも長野の奥志賀だった。周辺住民や子どもたちのために無料で演奏会を開催し、クラシック音楽の楽しさを伝えた。
 一方の「音楽塾」には長年にわたって築いた人脈を生かし、講師に一流の音楽家を招いた。有望な若手奏者を集めてオペラを制作した。自身、斎藤秀雄やカラヤンら「先生に恵まれて」(小澤さん)世界の舞台に踏み出したことも理由だったのだろう。
 世界的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(長野県松本市、現セイジ・オザワ松本フェスティバル)では、小学生向けの教育プログラムにも力を入れた。自ら育て上げた「サイトウ・キネン・オーケストラ」の世界ツアーも成功させた。
 高校時代から小澤さんと共演し、10年からサイトウ・キネン・オーケストラにも参加するチェリストの宮田大さん(37)は、小澤さんから「好きなように演奏していいんだよ」「殻を破るように」と言われたという。
 「小澤さんがリハーサル室に入るだけで空気が変わる。でもそれは威圧感ではなく、そっと背中に手を添えて音楽に向かう姿勢をりんと正してくれる感覚だった」と宮田さん。
 晩年、小澤さんは語っていた。「最近の若手にはうまいやつが大勢いる。世界で活躍する演奏家をたくさん育てたい」。その思いは着実に大きな実を結んでいる。

「セイジの教え 生き続ける」 米ボストン交響楽団が追悼
 【ボストン共同】小澤征爾さんが29年にわたって音楽監督を務めた米ボストン交響楽団は9日、告別の曲として小澤さんも度々指揮したバッハの名曲を演奏して追悼した。楽団のチャド・スミス最高経営責任者(CEO)は「セイジの教えは舞台上の演奏家の中に生き続ける」と語り、ファンは地元で愛されたマエストロの死を惜しんだ。
 「音楽を愛する全ての人にとってつらい日だ。巨匠を失った」。スミス氏は楽団の本拠地であるシンフォニーホールでのコンサートの冒頭、小澤さんをしのぶ時間を設け「指揮する際に目に宿っていた激しさを決して忘れない」と振り返った。
 ホールのスクリーンに指揮する若き日の小澤さんの写真が映され、楽団は小澤さんが故人に別れを告げる際によく選曲したバッハの「G線上のアリア」を演奏。曲が終わると黙とうをささげた。
 ボストン在住の建築家デービッド・バーソンさん(74)は「情熱とエネルギーにあふれた革新的な指揮者だった」と述べ、過去に鑑賞した小澤さんの公演を懐かしがった。「長く美しい人生だったと思う。その時が来たと受け入れるしかないだろう。安らかに眠ってほしい」と付け加えた。
 同交響楽団は追悼文をウェブサイトに掲載し「伝説的な指揮者であるだけでなく、次世代の音楽家たちの情熱的な指導者でもあった」と悼んだ。音楽監督を務めるアンドリス・ネルソンス氏は「若手音楽家として、とてつもない刺激を受けた」と振り返った。

「楽団と一体、クラシック界に新局面」 「身銭を切って演奏会に」ロバート・キャンベルさん
 6日に亡くなった小澤征爾さんの音楽に若い頃から触れていたという、米国出身の日本文学研究者、ロバート・キャンベルさんに話を聞いた。

 1970年代、サンフランシスコで暮らしていた頃、街の一番大きなホールで交響楽団の音楽監督をしていたのが小澤征爾さんでした。80年代に私がハーバード大大学院に進学しても、隣町のボストン交響楽団の音楽監督として小澤さんがいました。貧乏な音楽好きの大学院生だった私は、身銭を切って演奏会に通いました。
 彼のマーラーの交響曲、モーツァルトのコンチェルトなどの音は今でもくっきりと覚えています。彼が師事したカラヤンやバーンスタインとも違う、情熱的ではあるけど非常に正確で、隅々までバランスの取れた重厚な演奏でした。
 指揮棒を必ずしも使わず、素手で指揮をしていて、まるで体が楽団と一体になっているような印象がありました。指先でどんな音をあぶり出すのか、あるいは音を抑えようとしているのか。指揮棒よりも表情豊かに伝わってくる。独自の情や思想を感じることができる演奏で、まさに脂の乗った、いい時期でした。
 アジア人の音楽家にクラシック音楽を理解するのは難しいだろうという偏見も強かった時代でしたが、「セイジオザワ」は日本的、東洋的だからというのではなく、その個性、人格、独自の譜の読み方で人々に認められました。アジアのほかの演奏家、指揮者が台頭する足掛かりにもなりました。日本にとってはもちろん、欧米でも人々の固定観念を覆し、クラシック音楽に新たな局面を開いた大きな存在でした。

 ROBERT・CAMPBELL 早稲田大特命教授。専門は近世・近代日本文学。近訳書にウクライナの詩人が手がけた証言集「戦争語彙(ごい)集」。

 

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