テーマ : ウクライナ侵攻

広島の経験、母国復興の力に 福岡へ避難の学生、惨状重ね翻訳 原爆資料館でウクライナ語音声ガイド

 広島市の原爆資料館に、16日からウクライナ語の音声ガイドが加わった。ロシアの侵攻を受けウクライナから福岡県に避難した学生ら13人が、被爆の惨状を郷里の戦禍と重ね、心を痛めながら翻訳を手がけた。導入を機に、多くの同胞が資料館を訪れ「母国の復興に役立ってほしい」と願う。

広島市の原爆資料館の音声ガイドをウクライナ語に翻訳したスビトラナ・レジコさん(左)ら=1月、福岡県筑紫野市
広島市の原爆資料館の音声ガイドをウクライナ語に翻訳したスビトラナ・レジコさん(左)ら=1月、福岡県筑紫野市

 13人はキーウ国立言語大日本語文献学科に通っていた12人と教員1人。学術協定を結ぶ日本経済大(福岡県太宰府市)の支援で来日した。在日大使館から依頼を受け、昨年の夏休みに常設展示の解説を翻訳。原爆犠牲者の遺品や、被爆者が戦後に描いた「原爆の絵」など約70点を分担した。
 「涙がずっと出ていた」。西部出身のスビトラナ・レジコさん(20)は、原爆投下直後の悲惨な光景を伝える資料を担当。熱線を浴び、皮膚が溶けるほどのやけどを負って亡くなった男の子が、祖国で失われた幼い命に重なった。戦争で子どもが被害に遭うことは「不平等であり得ないことだ」との認識を強めた。
 被爆者、きのこ雲、爆心地…。母国語にない言葉に頭を悩ませた。きのこ雲を直訳せず「放射能の雲」と表現。直感的に理解できるよう工夫した。
 マリヤ・コルネバさん(20)は2022年2月の侵攻開始当時、首都キーウ近郊の村に家族と暮らしていた。ロシア軍が接近し、家族と西部に退避。その後、日本経済大に留学できると知り、ポーランド経由で数週間かけ日本にたどり着いた。
 インフラ復旧や反核運動の始まりといった戦後復興期の解説を訳した。「心が殺されるような」惨禍を経験しても、生きることを諦めなかった人々の姿に「大変な出来事の後でも人生は続けられる」と勇気づけられた。

 

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