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【大型テロとプーチン政権】動員時期を慎重に判断 情報戦、国民監視を強化 前駐ウクライナ大使 倉井高志

 ロシアのプーチン大統領は3月21日の国民向け演説で、先の大統領選でロシアが一つの「仲むつまじい大家族」であることが証明されたと宣言した。「家族」との表現がプーチン氏の目指す国家像を端的に示している。

前駐ウクライナ大使の倉井高志氏
前駐ウクライナ大使の倉井高志氏

 それは家父長制的な国家であり、国家指導者は「父親」だ。父親は国民の安全を守り生活を豊かにする。他方、国民は父親たる指導者を尊敬し、その導きに従うという世界だ。大統領選はプーチン氏にとって、そんな国家像建設への総仕上げの門出を飾る儀式だった。
 この宣言の翌日、モスクワ郊外でコンサートホールを狙った大型テロが発生した。プーチン氏は出ばなをくじかれた形だ。対応を誤れば今後の政権運営全体にも影響が出る。
 通算5期目を迎える同氏が特に重視するのは、次の点だろう。(1)自分を中心とする家父長制的国家をソ連時代の統治手法で推進する(2)対ウクライナ戦争に勝利(領土拡大)し「西側世界に対するロシアの勝利」と位置付ける(3)「父親」として国民をテロから守る「強い指導者像」を強調する―。
 これらは互いに共振する課題だ。そこから見えてくるのは、テロ事件後のプーチン氏の次のような動きだろう。
 まずは「ウクライナ・西側黒幕説」に立った情報戦の徹底だ。重要なのは真相究明ではない。情報機関や法執行機関に課せられた課題は、事件の背後にウクライナや西側がいるという、プーチン氏から示された「真相」を「具体的証拠」で根拠付け、国内外へ徹底的に宣伝することだ。
 既にロシアの捜査委員会は、実行犯がウクライナから大量の暗号資産などを受け取っていたことを示す「確認済みデータ」があると発表した。さらにロシア外務省はウクライナに対し、今回のテロ事件のみならず他の事案も含め、ウクライナ保安局(SBU)長官などの具体的人名を挙げた上で「テロに関与した者の引き渡し」を求めた。
 今後さらなる「証拠」が示され「協力者」や「スポンサー」とする人物や組織が特定されるだろう。こうした印象操作を甘く見てはいけない。ナンセンスと一笑に付すだけでなく、明確に否定し反論していく必要がある。
 またプーチン政権は、テロ対策強化を目に見える形で進めるはずだ。タジキスタン出身者をはじめ中央アジア系の入国者に対する監視強化に始まり、排外主義と国民監視が並行して徹底されるだろう。
 この関係でロシアの情報機関、法執行機関で特に大統領の覚えめでたい活動をした部署の権限強化や装備拡充が進む可能性がある。昨年「プリゴジンの乱」鎮圧に貢献した国家親衛隊が戦車などの重装備を受領するようになった先例もある。
 さらにプーチン政権はウクライナでのロシアの戦力強化につなげる動きを進めるだろう。ただしこれは容易ではない。
 今回のテロを巡り「ウクライナ・西側黒幕説」を本気で信じる者は国際社会では少ないが、ロシア国内には相当数いる。それでも、戦場に駆り出されるか否かは自分や家族の命の問題であり、大統領選で支持を与えることとは重みが全く違う。
 プーチン氏は今後、国民の反応を慎重に見極めつつ動員のタイミングを判断するだろう。ただ国内の監視活動が非ロシア人に集中する状況が続けば、大量の少数民族を戦場へ送り込む従来手法の継続が困難となり、暴動を招く可能性もある。
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 くらい・たかし 1981年外務省入省。京都大卒。同省国際情報統括官組織参事官、4度の在ロシア大使館勤務を経て2019~21年駐ウクライナ大使。

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