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【ビキニ被ばく70年】「原爆許すまじ」今も愛唱 作詞者、核廃絶の希望に ビキニ被ばく直後完成

 1954年3月、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験で被ばくしたビキニ事件をきっかけに、全国で原水爆禁止運動が盛り上がった。その頃に産声を上げた歌「原爆を許すまじ」は、今も核兵器廃絶を願う人たちに愛唱されている。三度許すまじ原爆を―。作詞した神奈川県鎌倉市の浅田石二さん(92)は「原水爆に抵抗し、人類の希望となる歌にしたかった。子どもから大人まで無差別に殺された悲しみ、怒りを込めた」と振り返る。

1957年8月、原水爆禁止世界大会の前日に「原爆を許すまじ」を歌う人たち=東京都内
1957年8月、原水爆禁止世界大会の前日に「原爆を許すまじ」を歌う人たち=東京都内
「原爆を許すまじ」を作詞した浅田石二さん
「原爆を許すまじ」を作詞した浅田石二さん
2023年11月、米ニューヨークの国連本部前で「原爆を許すまじ」を歌う金本弘さん(中央)ら被爆者(共同)
2023年11月、米ニューヨークの国連本部前で「原爆を許すまじ」を歌う金本弘さん(中央)ら被爆者(共同)
1957年8月、原水爆禁止世界大会の前日に「原爆を許すまじ」を歌う人たち=東京都内
「原爆を許すまじ」を作詞した浅田石二さん
2023年11月、米ニューヨークの国連本部前で「原爆を許すまじ」を歌う金本弘さん(中央)ら被爆者(共同)

 「ふるさとの街焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に…」
 広島で原爆に遭った名古屋市の元音楽教員金本弘さん(79)は昨年11月下旬、核兵器禁止条約第2回締約国会議に合わせ渡米し、ニューヨークの国連本部前で被爆者仲間や支援者と歌声を響かせた。重厚だが耳になじみやすい曲調で、4番まである。被爆者団体の会合や8月の「原爆の日」の集会などでも歌われる。
 浅田さんは東京・品川の町工場が立ち並ぶ下町でかつて暮らし、戦後間もない頃から詩をたしなんだ。反戦平和を訴える労働組合や文化活動の盛んな土地柄だった。
 原爆詩人峠三吉の「原爆詩集」(51年発行)にあった「にんげんをかえせ」に衝撃を受けた。広島の友人からは、両親や妹を原爆で奪われたと聞いた。「私は峠さんと違い、原爆に遭っていない。だが広い意味で日本人として原爆に遭ったと思い、人ごとではなかった」。歌サークルによる平和をテーマにした歌の創作に加わった。
 「許すまじ」の歌詞を書き上げたのは、ビキニ事件から約3カ月後の54年6月。福竜丸乗組員の被ばくや海産物の汚染が判明し、日本で反核世論が高まっていた。「広島、長崎は私たちのふるさとだと、愛情とともに捉えたかった」。歌詞では怒りだけでなく、被爆地に花が咲いたという希望にも触れた。
 その年の8月、広島であった国鉄労組系の音楽大会から帰京する列車内。完成した歌を合唱する組合員に自己紹介すると、胴上げされた。反響に驚き、感動した。原水禁運動の波の広がりとともに「気付けば日本中で歌われていた」。
 だが、世界には推計1万発超の核弾頭がいまだに存在し、公然と威嚇に使われている。歌い継がれている現状に「本来は歌の使命はとっくに終わっていないといけない」と複雑な心境を明かす。
 被爆者らの無念を歌詞に盛り込みきれなかったとの悔いもあり、核実験を含む被害者救済をうたう核禁止条約への期待は大きい。「犠牲者や今も苦しむ被害者を忘れないことが一番大事。忘れてしまえば、新しい戦争が始まる危険がある」と訴えている。

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