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「とても孤独」なクジラのオスが、またしても大阪湾に迷い込んだ 温暖化や港の構造だけじゃない、その切ない理由

 今年、大阪湾に再びクジラが迷い込んだ。全長は15メートル超で、重さ約32トン。太平洋の深い場所に多く生息するマッコウクジラの雄で、2月19日に堺市の港で死んでいるのが見つかった。

堺市の大阪湾内で漂流していたクジラ。現地調査で死んでいるのが確認された=2月19日
堺市の大阪湾内で漂流していたクジラ。現地調査で死んでいるのが確認された=2月19日
埋設のため海から引き揚げられたクジラ=2月22日、堺市
埋設のため海から引き揚げられたクジラ=2月22日、堺市
クジラの死骸が見つかった場所
クジラの死骸が見つかった場所
淀川河口に浮かぶ「淀ちゃん」。白い斑点のような傷が目立つ=2023年1月、大阪市
淀川河口に浮かぶ「淀ちゃん」。白い斑点のような傷が目立つ=2023年1月、大阪市
クジラの死骸処理方法を説明する吉村洋文知事=2月19日、大阪府庁
クジラの死骸処理方法を説明する吉村洋文知事=2月19日、大阪府庁
大阪市立自然史博物館友の会の鍋島靖信会長=2月22日、大阪市
大阪市立自然史博物館友の会の鍋島靖信会長=2月22日、大阪市
マッコウクジラ(資料写真)
マッコウクジラ(資料写真)
堺市の大阪湾内で漂流していたクジラ。現地調査で死んでいるのが確認された=2月19日
埋設のため海から引き揚げられたクジラ=2月22日、堺市
クジラの死骸が見つかった場所
淀川河口に浮かぶ「淀ちゃん」。白い斑点のような傷が目立つ=2023年1月、大阪市
クジラの死骸処理方法を説明する吉村洋文知事=2月19日、大阪府庁
大阪市立自然史博物館友の会の鍋島靖信会長=2月22日、大阪市
マッコウクジラ(資料写真)

 大阪湾のクジラといえば、昨年1月に淀川河口付近に現れた「淀ちゃん」が記憶に新しい。太平洋に帰還してほしいという市民の願いもむなしく、数日後に衰弱死。和歌山県の沖合に沈められた。
 なぜこうもたびたびクジラが現れるのか。専門家に原因を聞くと、地球温暖化に加えて、大阪湾周辺の港に特有の複雑構造が挙がる。さらに話を聞き進めると、不運な雄マッコウクジラの孤独な一生という、何とも切ないキーワードが浮かんできた。(共同通信=伊藤怜奈)

 ▽1カ月近い「滞在」の末に
 今回のクジラが初めて目撃されたのは1月12日。神戸市の六甲アイランドに近い沿岸部だ。その後東に進み、1月23日からは堺市の堺泉北港に入った。1カ月近く「滞在」した末の2月19日、岸壁からおよそ300メートルの場所で死んでいるのが見つかった。人の目につきやすい河口付近で潮を吹き、市民にテレビカメラにと多くのギャラリーを集めた淀ちゃんと違って、堺泉北港は企業や工場が建ち並ぶ場所。発見の2日前には死んでいたとみられ、淀ちゃんのような愛称が付けられることもないままの「孤独死」だった。
 クジラの体温はおよそ33度と人間に近い。気象庁によると、1月の大阪湾は平均海面水温が10~15度と冷たく、水深の浅い湾内に餌となる食料はない。脂肪の多いマッコウクジラは体内の脂を燃やして体温を維持するが、長い漂流の末に限界を迎えたとみられる。死骸処理に携わった関係者によると、発見時には既に皮膚の表面で腐敗が進んでいた。
 大阪府と大阪市でつくる大阪港湾局によると、船から金属音を発して追い払う方法もある一方で、興奮したクジラが暴れる危険もある。担当者は頭を抱える。「太平洋に戻るよう願うくらいしか、できることはない」。せめて死骸を速やかに処分できるようにと事前に方法を検討し、堺市内の府有地に埋める形となった。

 ▽脱出困難な「迷宮」
 クジラが大阪湾に迷い込むのはなぜなのか。大阪市立自然史博物館友の会の鍋島靖信会長は、最も大きい理由として地球温暖化を挙げる。「大阪湾と太平洋との水温差が小さくなっている」というのだ。近年の暖冬で大阪湾の海水温が上昇。2つの海の「境目」が見にくくなった結果、湾内に迷い込む可能性が高まるという。最近ではクジラだけでなくイルカやウミガメも湾内で多く見つかっているそうだ。
 気候に加えて、大阪湾の構造も原因だと鍋島さんは分析する。湾の中でも、神戸市周辺の港が単純な構造であるのに比べて、工業地帯が広がる大阪市や堺市周辺の沿岸は、船が貨物の積み降ろしで接岸できる場所を増やすため、多くはかぎ形のように入り組んでいる。今回死骸が見つかった堺泉北港は袋小路の構造だ。クジラは音波を発し、その反響によって自分の位置や進路を認識する。障害物が多く、入り組んだ大阪湾はいわば「迷宮」で、一度入ったら脱出するのは至難の業なのだ。
 ▽世界の海を漂う「ぼっち」クジラ
 昨年の淀ちゃんも、今年のクジラも、大阪湾で息絶えたのはいずれも雄のマッコウクジラだった。鍋島さんに聞くと偶然ではないらしく、意外な答えが返ってきた。「クジラの雄はとても孤独なんです」
 マッコウクジラの雌は団体行動を取るのが一般的だが、雄は「個」の行動が中心。生まれたのが雄だった場合、体が大きくなる10~15歳ごろには雌の集団から文字通り追い出されてしまうという。
 理由は明確で、雌が生きるためだ。成長した雄は水深2~3キロ付近でダイオウイカなどを捕獲するが、雌は潜れてせいぜい数百メートル。雄と雌が同じ生活圏にいると、雌が食べる餌も全て雄が食べ尽くしてしまう可能性がある。
 その後、雄たちは3~4頭のグループで行動するようになる。ところが、そうした関係が続くのは、繁殖期という名の壮絶な「争奪戦」が始まるまでの間だけ。繁殖期に入ると雌を奪い合い、繁殖能力が低い雄は戦いに敗れて退散。グループはバラバラになる。こうして「ぼっち」になった雄には、風来坊として世界中の海を漂いながら地道に繁殖活動を続けるという運命が待ち受ける。
 クジラの寿命はおよそ80歳で、人間とそう変わらない。鍋島さんによると、堺泉北港のクジラは「20~30歳くらいの若者」で、体の大きさから繁殖能力が備わっていたとみられる。雌の集団から追い出された後、繁殖活動中に「見知らぬ海」に迷い込んでしまったのだろうか。
 ▽不調を訴えようにも
 屈強な肉体と精神で繁殖期を生き抜きながら、ひたすらに孤独を強いられる雄のマッコウクジラの一生。ここに「体の不調」という不運が重なると、今回のような「悲劇」が起こる可能性がさらに高まる。
 昨年1月に見つかった淀ちゃんの年齢は推定46歳だった。クジラの平均寿命は人間とほぼ同じで、淀ちゃんというよりは「淀さん」という呼び名がふさわしい立派な中年だ。
 そんな中年クジラには、目視でも分かるほどの傷があった。白い斑点のようなもので、鍋島さんはこう推測する。「深海で冷えた体を浅瀬で温めていたときに、船とぶつかったのではないか」。体の形も真っすぐではなく、常に「し」の字をしていた。
 堺泉北港で死んだクジラは体組織の調査が進む。現時点で目立った傷や不調は判明していないが、三半規管や内臓が弱いなど、見えない部分の不調が見つかる可能性も十分ある。
 こうした不調は、孤独な雄にとっては致命傷となり得る。集団で生活する雌は体調が悪くなっても、「おばあちゃん」や「お母さん」によるケアが期待できる。一方の雄はこうした「互助会」からは切り離され、1頭で孤独に暮らす。傷ができたり、体調不良になったりしても誰も守ってくれない。
 自然環境の変化、港湾の構造に孤独な習性…。袋小路から抜けられないまま一生を閉じた堺泉北港のクジラは、2月26日に無事埋設された。埋められてから1~2年後に掘り返され、大阪市立自然史博物館に骨格標本として提供される見込みだ。自然史博物館には既にマッコウクジラの雌の標本があり、これでどちらもそろうことになる。博物館の主任学芸員は喜びを語る。「雄と雌では体格がかなり違う。とても貴重な資料になる」
 昨年1月の「淀さん」は船で運ばれ、和歌山県沖に沈められた。その処理費用は8000万円と高額だったのに対し、今回採用された埋設は概算で1500万円。安価で済むというメリットもある。
 大阪府の吉村洋文知事は、「淀さん」が生きていればほぼ同い年となる48歳。2月19日、堺泉北港のクジラが死んだとの知らせを受けて、記者団に沈痛な面持ちを見せた上でこう語った。「非常に残念だ。自然の世界で起きたこととして受け止めようと思う。埋設という方法を取ることで、意義がある標本を提供したい」

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