テーマ : 読み応えあり

「中小企業も賃上げを」の大合唱…でも現場では「きれいごと」と突き放す声 6割がコスト増の「価格転嫁が不十分」と回答、大企業との賃金格差広がる

 2024年春闘では、日本製鉄の14・2%の賃上げをはじめ、トヨタ自動車や日立製作所など大手企業が軒並み給与アップを打ち出した。政府は賃上げの波が中小企業にも広がることを期待する。その鍵を握るのが、生産コストの上昇分を取引先が分担する「価格転嫁」の実現だ。

取材に応じる焼結合金加工の高柳昌睦社長=3月11日、川崎市
取材に応じる焼結合金加工の高柳昌睦社長=3月11日、川崎市
取材に応じるスタックスの星野佳史社長=3月4日、川崎市
取材に応じるスタックスの星野佳史社長=3月4日、川崎市
新潟県十日町市にあるスタックスの事業所=2017年3月(スタックス提供)
新潟県十日町市にあるスタックスの事業所=2017年3月(スタックス提供)
取材に応じるナストーコーポレーションの尾池行郎社長=3月5日、東京都中央区
取材に応じるナストーコーポレーションの尾池行郎社長=3月5日、東京都中央区
大手と中小企業の賃金格差
大手と中小企業の賃金格差
中小企業の賃上げ予定
中小企業の賃上げ予定
取材に応じる焼結合金加工の高柳昌睦社長=3月11日、川崎市
取材に応じるスタックスの星野佳史社長=3月4日、川崎市
新潟県十日町市にあるスタックスの事業所=2017年3月(スタックス提供)
取材に応じるナストーコーポレーションの尾池行郎社長=3月5日、東京都中央区
大手と中小企業の賃金格差
中小企業の賃上げ予定

 2023年11月、政府は価格転嫁を促す指針を公表し、労働組合と財界のトップを含めた政労使のいずれからも「価格転嫁の実現を」との大合唱が起きた。取材すると、変化の兆しは見られるが、「きれいごとだ」と突き放す見方や大企業との格差拡大を嘆く声も聞かれた。中小企業の従業員らが働く現場を歩いた。(共同通信=小林まりえ、仲嶋芳浩)
 ▽原材料費2倍、生き残りに向け価格交渉
 自動車や機械などの各産業はピラミッドの頂点に大企業が位置し、裾野に広がる多数の中小企業がサプライチェーン(供給網)を支えている。
 川崎市で精密板金業を営むスタックスは、半導体製造装置や人工衛星の部品を製造している。厚さ0・01ミリの鉄やアルミ板を板金加工する技術が強みだ。物価高を受けて2021年度から賃上げを続け、全従業員の基本給を2~4%引き上げた。千葉県勝浦市と新潟県十日町市の事業所で、人材確保のため初任給をアップすることも見据えた対応だ。
 経営環境は苦しい。近年は原材料費が2倍、エネルギーコストは1・5倍に膨らんだ。2022年、全ての納入先に対して値上げするとの方針を通知し、20~30社との価格交渉に乗りだした。星野佳史社長(41)は「劇的な変化だ」と費用負担の急激な高まりに困惑しており「社内のコストダウンでは追いつかず、今までにない交渉をしている」と語る。
 製品価格を引き上げれば賃上げの原資を確保できるが、全ての企業が希望した値上げ幅を認めてくれるわけではない。交渉の資料づくりも負担だ。星野社長は「値上げは企業として生き残るためだ」と説明する。原材料を購入する立場としては、仕入れ先から値上げの要請があった場合には、査定して基本的には満額で了承している。
 星野社長は「値上げ分をどこかで負担しないとサプライチェーンが成立しないのであれば、いったんはスタックスで持つ。サービス、納期を安定させるため、大企業にもサプライチェーンを保つという意識を本気で持ってほしい」と訴える。
 ▽賃上げによるプライド回復を
 タオルの生産を手がける大阪府箕面市のナストーコーポレーションは2023年夏に従業員の給与を平均4・3%引き上げ、2024年も同程度の賃上げを実施する予定だ。
 尾池行郎社長(60)は「業務改善を通じた賃上げは究極の目標だ。日本人の国際競争力が低下する中、賃上げによるプライド回復が必要だ」と語る。
 原材料費や輸送費が高騰しており、尾池社長は「商品づくりや納入先を変えないといけない」と考えている。量販店で販売する低価格帯の商品は競争が激しく、値上げが難しい。今後はそうした商品を減らした上で、スポーツブランド向けの価格競争力のある商品を強化し、スポーツ大会での景品の納入などを増やすという。
 ▽「別の企業への発注も検討したい」と厳しい反応
 自動車のエンジン部品などを生産する川崎市の焼結合金加工の高柳昌睦社長(39)は2022年、トップ就任をきっかけに取引先との値上げ交渉を開始した。先代社長の時代から価格設定がずっと変わっていないことに疑問を感じていた。
 だが相手からは、人件費の一部である労務費は企業努力で捻出するべきだとして「別の企業への発注も検討したい」との厳しい反応が返ってきた。交渉は難航し、その間に入った注文は、引き上げ前の従来価格で納入する事態に陥った。
 だが最近は、納入先の方から値上げを持ちかけてくることもある。引き上げ分を計算する資料も先方が準備した。高柳社長は「中小企業は感覚的に経営し、交渉する材料をそろえられない会社も多い」と話し、取引先の変化を歓迎する。政府が昨年公表した、労務費の価格転嫁を促す指針が「かなり効いている」と評価する。
 物価高騰で従業員の生活の負担は重くなっており、賃金全体を底上げするベースアップが必要と感じている。高柳社長は「物価が高騰している。価格転嫁を原資にベースアップを実現したい」と交渉進展に望みをつなぐ。
 ▽将来不安が大きく、労組の組合員2割が退職
 首都圏の別の自動車部品メーカーは、新型コロナウイルス流行後の収益低迷を受け、組合員の2割が退職した。「業績悪化による将来不安が大きい」と労働組合幹部は話す。2023年は従業員を引き留めるためにベースアップを実施したが、金額は3千円にとどまった。
 この組合幹部は「原材料費の上昇を受けた取引価格への転嫁は遅れており、遅れた分は自社で負担せざるを得ない。大手自動車メーカーは『賃上げの機運が中小に波及してほしい』と言うが、きれいごとだ。大手と中小で賃金格差は広がる一方だ」と嘆く。
 大企業の高水準の賃上げが連日報道されているが、サプライチェーン全体は給与アップの波に乗り切れていない。「部品メーカーは本当に厳しい経営環境だ。価格転嫁を進めてほしい」と語気を強める。
 ▽大手と中小の賃金差額は23年間で最大3倍に
 中小企業の賃金停滞は、過去数十年のデフレ経済下で放置され続けてきた大きな問題だ。中小製造業が中心の産業別労働組合「JAM」が集計したデータから、リアルな実態が読み取れる。
 JAMは組合員数300人未満の会社と、1000人以上の会社について、月額所定内賃金の平均値を比較した。高卒後すぐに就職した30歳の場合、2000年では差額が9307円だったが、2023年には2万9184円へと3・1倍に広がった。
 25歳や35歳でも同様の傾向だった。50歳では30歳ほどの差はないが、300人未満の企業の場合は月当たりの賃金自体が23年前から1万8000円ほど減った。JAMの担当者は「賃金カーブが右肩上がりにならず伸びなかった」と分析する。デフレ経済下で、中小の下請け代金には「買いたたきが続いた」とも指摘する。
 ▽賃上げを予定する中小企業の過半は業績低調
 日本商工会議所の調査では、2024年度に賃上げを予定する中小企業は61・3%と前年度から3・1ポイント増えた。だが賃上げ予定企業の経営状態を見ると、業績は低調だが賃上げするとの回答が過半を占めており、内情は厳しい。
 価格転嫁の実現が収益改善の鍵を握る中、産業別労働組合「UAゼンセン」の製造産業部門が2024年1月までに労働組合に対して行ったアンケートでは、6割が「価格転嫁は進展したが不十分」と回答した。コスト別では、人件費の一部である労務費は36%が転嫁を全くできていなかったと答え、上乗せの難しさが際立つ。原材料費分は15%、水道光熱費も17%が転嫁できなかった。
 法政大の山田久教授(労働経済)は「大手を中心に賃上げの流れが定着してきたが、中小への広がりは不十分だ」と指摘する。政府は、価格転嫁の後押しに加え「企業同士で人材育成の仕組みを共有するなど、連携を促す政策を講じ、中小の生産性を高めることが必要だ」と強調した。

いい茶0

読み応えありの記事一覧

他の追っかけを読む
地域再生大賞