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真っ暗闇の被災地で、全壊した書店の看板だけ明かりがついている…なぜ? 理由は83歳店主が込めた、ある決意「がれきの下には、今も1万冊が埋もれている」

 電灯もついていない真っ暗な商店街の一角に、こうこうと照らされた看板があった。近づいて見えたのは「いろは書店」の文字。建物は、わずかに原形をとどめる正面も斜めに大きく傾き、一部にブルーシートがかけられていた。それなのになぜ明かりをつけているのか―。

闇夜に浮かび上がる「いろは」書店の看板=2月14日、石川県珠洲市
闇夜に浮かび上がる「いろは」書店の看板=2月14日、石川県珠洲市
いろは書店代表の八木久さん=2月17日、石川県珠洲市
いろは書店代表の八木久さん=2月17日、石川県珠洲市
地震前のいろは書店内の様子=2023年5月、石川県珠洲市(提供写真)
地震前のいろは書店内の様子=2023年5月、石川県珠洲市(提供写真)
能登半島地震で全壊した石川県珠洲市の「いろは書店」=2月15日
能登半島地震で全壊した石川県珠洲市の「いろは書店」=2月15日
小学生が社会科見学で書店を訪れた際の様子=2023年6月、石川県珠洲市(提供写真)
小学生が社会科見学で書店を訪れた際の様子=2023年6月、石川県珠洲市(提供写真)
「方丈記」の一節が張られたいろは書店の掲示板=2月15日、石川県珠洲市
「方丈記」の一節が張られたいろは書店の掲示板=2月15日、石川県珠洲市
いろは書店の看板と八木さん=2月17日、石川県珠洲市
いろは書店の看板と八木さん=2月17日、石川県珠洲市
闇夜に浮かび上がる「いろは」書店の看板=2月14日、石川県珠洲市
いろは書店代表の八木久さん=2月17日、石川県珠洲市
地震前のいろは書店内の様子=2023年5月、石川県珠洲市(提供写真)
能登半島地震で全壊した石川県珠洲市の「いろは書店」=2月15日
小学生が社会科見学で書店を訪れた際の様子=2023年6月、石川県珠洲市(提供写真)
「方丈記」の一節が張られたいろは書店の掲示板=2月15日、石川県珠洲市
いろは書店の看板と八木さん=2月17日、石川県珠洲市

 2月中旬のある日、私は石川県珠洲市にいた。能登半島地震で大きな被害が出た地域だ。市街地では、倒壊家屋のがれきが至る所に散乱していた。取材を終えた夜、仮設トイレを借りようと市役所に向かう途中、目に飛び込んできたのが看板だった。「きっと理由があるに違いない」。気になって翌日、店の連絡先に取材依頼のメールを送ると、ほどなく返事が来た。会って話を聞いたのは83歳の店主・八木久さん。ほがらかな語り口と優しい笑顔に隠された、強い決意がそこには込められていた。(共同通信記者・森脇江介)
 ▽間一髪で脱出した直後から
 店主の長男・淳成さん(50)からの返事には、このように記されていた。「都合の良い時間帯などがありましたら、ご連絡下さい」。地震で大変な時なのに、丁寧に応じてもらえるありがたさが身に染みた。数日後、店の前で落ち合う形でお願いした。
 石川県珠洲市役所近くにあるいろは書店は1949年の創業。店を切り盛りするのは今も現役の久さん。漫画や文庫本に加え、地元の高校生向けに教科書も販売する、地域にとってインフラのような存在だ。ブルーシートがかけられた店の前にパイプ椅子を並べる形で話を聞かせてもらうことになった。
 久さんはまず、地震についてこんなふうに振り返った。「これまでの地震では大丈夫だったので、店が壊れて驚いた」。発生時は店の奥で作業をしていた。建物はその付近だけが持ちこたえたため、間一髪で脱出できた。津波を警戒して、その日の夜は市役所に泊まった。そう話す久さんの表情に悲壮感はなく、こうも続けた。「3月になったら高校生に教科書を売らないといけないし、地震翌日には再建すると決めていた」。常連客が差し入れてくれた近所のカフェのコーヒーを手に、笑顔を見せた。
 ▽渋々始めて、気付けばのめり込んでいた
 書店業は必ずしもやりたいと思って始めたのではないのだという。「大学を出る直前の1962年に母が亡くなり、創業した父に継いでほしいと言われて」。就職も決まっていたが、渋々、ふるさとの能登に帰ってきた。
 書店は当時、外商と呼ばれる訪問販売から店頭での販売にシフトしていた時期だった。「本がよく売れた時代だった。売り上げの記録で出版社から表彰されたこともある」。仕方なく始めたはずなのに、のめり込んでいった。
 東京で書店主の集会に参加して仲間と話していると、売り上げを伸ばすだけでいいのかという思いも芽生えた。「売れる本を売るのも大事だけど、売れなくても良書を並べることが本屋の使命だ」。インターネット販売が定着し、地域の小規模書店はどこも経営が厳しいと言われる。それでも久さんは、経営書や学術書などの気に入った本を店内に並べてきた。その思いはこうだ。「見てもらうだけでもいい。そこに知らない本との出会いがあるのだから」
 ▽あふれる愛、輝く目
 2階建ての店舗兼住居の1階に並べていた本はおよそ1万冊あった。今もがれきの下に埋まったままになっている。久さんは店舗を見やりながらつぶやいた。「かわいそうですよね。できるだけ助けたいし、汚れて売り物にならなくても配って読んでもらうことはできる」。本への愛があふれる言葉に、思わず涙がこぼれそうになった。
 久さんは教科書販売に備えて仮店舗で営業を再開しようと、知人に頼んで30メートルほど離れた建物を借りた。避難所暮らしを続けつつ、日中は淳成さんと共に再開の準備に勤しむ。インターネットでも寄付を呼びかけている。
 取材中、付近の様子を見に来た近所の人の家族が通りかかった。「通り過ぎようと思ったら、いろはさんの前に人がいるから寄った。うちの両親は無事でした」。淳成さんが「このあたりはみんな元気ですよ。もう再開しますから!」と返す。次々に声がかかる様子から、店がいかに地域の人に愛されているかが伝わってきた。
 カフェも併設し、憩いの場でもあった書店。新型コロナウイルスがまん延する前は、小学校に出張して読み聞かせにも取り組んでいた。全壊した店を背に語る久さんの目は輝いていた。「書店は地域の文化を支える存在です。心豊かな人が住める街をつくりたい」。早くも再建への構想を練っているという。「今度は地震に強い建物にする。棚を手作りして、本も表紙が見えるように並べる」
 ▽方丈記が教えてくれること
 雲間からは太陽が顔を覗かせるものの、2月の能登には冷たい風が時折吹き付けた。被災したお二人に申し訳なくなり、私は思わず頭を下げた。「こんなところですみません」。淳成さんは久さんを見ながら笑った。「大丈夫ですよ。この人、行水するくらいですから」
 久さんに好きな本を聞くと、鴨長明の「方丈記」を挙げてくれた。「人間がどれだけ焦ったところで、年月がたてば大抵のものは消えてなくなる。人生のはかなさみたいなものを教えてくれる本。そういうのを現代のあくせくしている人にも分かってほしい」。店の横にある掲示板には、冒頭の一節を貼ってある。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず―」
 久さんに、どうしても聞きたかったことを尋ねた。「全壊した店舗なのに、何で明かりを付けているんですか?」。照らされている看板は、創業時のデザインを復刻したもの。レトロな雰囲気を醸し出す店の顔で、6年ほど前に淳成さんが手がけた。久さんは語る。「街中が停電で真っ暗だったので、少しでも明るくしたいと思って」。太陽光発電設備を取り付けていたが、地震の揺れで外れたため、発生翌日に修理したという。
 私が「書店の灯を消したくない、という思いもあるのでは?」と聞くと、淳成さんが間髪入れずに返してくれた。「そうなんですよ。この人がね、再建すると言って聞かないと思います。僕は半年くらい休めると思ったんですけど」。久さんは照れくさそうにはにかんだ。「そこまでじゃないけど、とりあえず明るくしようと思ってね」。その表情には「地域の書店をなくさない」という決意がにじんでいるように感じられた。
 久さんはこう締めくくった。「被災者には明るく元気になれるような本を読んでほしい」。店を再開したら、また自慢の選書を並べるつもりだ。

いい茶0

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