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【識者コラム】領収書ない政治活動に課税 納税者目線のルールを 片山善博

 自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡る一連の報道からは、分別が欠けている政治家が少なくないことと、金銭感覚が世離れしていることが見て取れる。

片山善博さん
片山善博さん

 パーティー券販売ノルマの超過分をキックバック(還流)し、それを政治資金収支報告書に記載していなかった政治家が大勢いる。税務になぞらえると立派な収入の除外であり、簿外資金である。不記載がばれたら慌てて報告書を訂正し、すべて政治活動に使ったから問題ないと言う。最初から素直に記載しておけばよかったのではないか。
 そうただされると、派閥から記載しないように言われたのでと、しれっとしている。悪い事をしてとがめられ「だって、誰々ちゃんがやってもいいって言ったんだもん」という類いで、そんな言い訳は子どもでも通用しないのが分からないのか。
 ▽足りない真剣さ
 すべて政治活動に使ったと言うのに、それを証する領収書などの資料は提示しない。政治家はよく「説明責任を果たす」との常とう句を口にし、国会の政治倫理審査会への出席でそれを果たしたと考えているようだ。それは勘違いも甚だしい。
 説明責任とは英語の「アカウンタビリティー」の訳語である。アカウント、すなわち会計に由来し、会計係が雇い主に対して間違いやごまかしがないことを説明し納得してもらえて初めて、義務を果たしたことになる。
 納得してもらうには、会計帳簿や領収書などを「これこの通り」と提示すればいい。「ちゃんとやっています」と口で言うだけでは、雇い主に信じてもらえない。政治家も同じで、政治活動に使ったことを証する資料がなければ、単に言い張っているだけでしかない。国民は信じないし、納得するはずもない。
 国民や企業は税務署に説明責任を果たすために、小まめに領収書などを保管しておく。なければ税法上の必要経費や、損金として認めてもらえないから真剣である。
 政治家もそれと同じ真剣さを持つべきで、領収書などがなければ政治活動に使ったとは認めないとして、課税対象にすべきである。まして、収入除外の簿外資金など論外で、はなから課税対象である。もし意図的な仮装や隠蔽があれば、一般の納税者と同じく重加算税を課さなければならない。
 ▽説得力もない
 政党は政策活動費という名目で幹事長などの議員個人に資金を配ることができる。自民党の元幹事長には在任中に50億円もの巨費が配られたという。この政策活動費は領収書も何も必要ないとされていて、それをもらった人が何に使ったかは不明である。ひょっとして個人の懐に入れられていたとしても、証拠がないので問いようがない。
 政党の資金には政党交付金が入っている。原資は税であり、国民の税がこんないいかげんな使われ方をされていいはずがない。交付金は充てていないと釈明しているようだが、お金に色はないのでまるで説得力がない。
 百歩譲って政党交付金ではなく政治献金などで集めた金を充てているとしても、それで問題がなくなるわけではない。企業がもし社長ら幹部に「事業活動費」などの名目でまとまった金を渡したとして、そこから先の使途を問うことなく、それが損金に算入されることなどあり得ない。
 さらに、その金を渡された幹部の個人所得として課税対象となる。政策活動費について領収書などが不要とする取り扱いを今後も続けるなら、少なくともその配分を受けた個人の所得と見なして課税対象にすべきである。
 それでは政治活動の自由を侵すとの反論が出るだろう。だが、いくら政治活動の自由があるといって、無税の金を放埒に使っていいはずがない。
 企業にも企業活動の自由があるが、交際費などを無税で気ままに使うことは認められていない。学者には憲法で保障されている学問の自由があるが、研究費で高級クラブに通うことなどない。だからといって学問の自由が侵されているなどと苦情を言う人もいない。
 自由には規律が伴う。政治活動の自由も、企業活動や学問の自由と同じように、税由来の金や無税で集めた金の使い方については、納税者の目線に合わせたルールに従うべきである。以上、かつて税務署長を務めた者の心からの願いである。(大正大教授・地域構想研究所長)
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 かたやま・よしひろ 1951年、岡山県生まれ。東京大法学部卒。自治省(現総務省)に入り、府県税課長などを経て99年、鳥取県知事。退任後、地方制度調査会副会長を務め、2010~11年総務相。慶応大、早稲田大教授などを経て現職。著書に「知事の真贋」など。

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