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ダルビッシュ有、ファンへの粋なサプライズ 報道後、思わぬ反響も

 3月15日、ソウル市江南区にあるカフェ「Future Mind」の店主、李光熙(40)さんは驚愕した。店先に憧れの人が立っている。メジャーリーグ・パドレスのダルビッシュ有投手だった。
「突然のことで信じられなかった。最初に妻が叫んで、私も興奮して『ちょっと待って下さい』と慌ててしまった。それでもダルビッシュさんはニコニコしながら入ってきてくれた」
 韓国初のメジャー公式戦として行われる、パドレスとドジャースの開幕戦が5日後にソウルである。ダルビッシュ投手は、未明にチームと韓国入りしたその日に訪ねてきた。大リーガーと筋金入りの「ダルビッシュマニア」がレジカウンターの奥で肩を寄せ合う写真がSNSに投稿されると、現地メディアにも一斉に取り上げられた。またその反響はソウルシリーズの閉幕後にも…(共同通信=小林陽彦)
 ▽SNSで始まった交流
 李さんがダルビッシュ投手に惚れ込んだきっかけは約10年前。野球観戦で感じたことをブログに記すのが趣味で、仲間内の草野球では投手を務めていた。
 ある時、スライダーのコツを知りたくて、ダルビッシュ投手のツイッターアカウントに質問を送った。七色の球種を操るダルビッシュ投手の中でも、特にこの鋭く横に曲がる変化球はメジャーでも屈指の使い手だったからだ。もちろん見知らぬファンの質問に大リーガーが返事をくれるなど期待はしていなかった。
 ところが、友人とランチをしていたところに返信が。「思わず食堂で大声を出してしまった」。文中にはスライダーの握り方から、手首の返し方、感覚までが丁寧に説明されていた。日本ハムでプレーしていた時代から関心を寄せていた投手の一人だったが、そんな姿勢に一気に心を奪われた。それ以来、2人は折に触れてメッセージをやり取りする間柄になった。
 2010年3月に開設されたダルビッシュ投手のツイッターは、今では290万人を超えるフォロワーがいる。自身の意見を述べる場としてだけでなく、ファンとの窓口としても活用しており、実際にアドバイスを求めて返信をもらったというプロ野球の選手もいる。
 昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で黒子役となり日本代表の若い選手たちをサポートしていたことは、韓国の野球ファンにも知られているようだ。李さんは「行動も発言も、全てが好き。日本の野球の発展のために努力している姿がとても尊敬できる」と魅力を語る。
 カフェの店内にはアメリカから贈られたグラブや、その郵送に使われた段ボールまでが大切に展示されている。李さんに子どもが生まれ、お祝いのメッセージをもらった際の携帯画面もプリントして飾ってある。
 それだけ熱烈なファンにとってソウルでの開幕戦はまさに千載一遇の機会だが、観戦できるかは別問題であった。李さんは「仕事の都合で」と言っていたが、韓国内向けに販売されたチケットは、報道によればわずか開始8分で完売した。李さんは見に行けない無念さをSNSに動画で投稿。ダルビッシュ投手の都合さえ良ければカフェに招きたいという言葉も添えたが「開幕投手なので、準備やメディア対応で忙しいかと思った」のが本音で、期待はしていなかった。来店は本当のサプライズだった。
 ▽アイスカフェラテを飲みながら
 店自慢のアイスカフェラテを注文してくれたダルビッシュ投手に、李さんは自分がどれほど熱心なファンであるかを熱弁した。
 出産を控えた美來夫人の病院に付き添った際は、当時所属していたドジャースの背番号21のユニホームを着用。待合室のテレビで「妻に申し訳ない」と思いながらもワールドシリーズで投げるダルビッシュ投手の姿を見ていた。
 2016年には念願だったアメリカでの観戦が実現。先発登板に備えてブルペンで投球する姿を近くで見ただけで感動のあまり号泣した。「邪魔しないのがファンの心だと思って」と声をかけるのは我慢したが、むせび泣く李さんを見たコーチが使用球をプレゼントしてくれた。
 ダルビッシュ投手は一つ一つのエピソードを笑って聞き、店頭に飾られていた「BullPen Pitching 9―17―16」のシールが貼ってある思い出のボールにサインを書き込んだ。
 店の裏からどっさりと持ち出してきたコレクションのユニホームにも快くサインをくれたという。結局、店には約1時間も滞在。李さんにとって夢のような時間だった。
 ▽ダルビッシュの記者会見
 その3日後。試合会場の高尺スカイドームで開幕戦に向けた記者会見に臨んでいたダルビッシュ投手に、カフェ訪問についての質問が飛んだ。ダルビッシュ投手はさわやかに答えた。
 「もともと交流があったんですけど、今回ソウルに行くということで、少しでも顔を見に行きたいなということで行きました。すごく明るい、自分にはないものを持っているご夫婦。会えて良かったです」
 これを目にした李さんは「ダルビッシュさんになくて、私たちが持っているものって何だろう」と夫人と話し合ったそうだ。「それが明るさで、ダルビッシュさんが明るい気持ちになってくれたのならうれしい」
 3月20日の開幕戦。観戦を諦めていた李さんだったが、何と前日に常連客からチケットを譲ってもらい、球場での応援が実現した。ダルビッシュ投手は大谷翔平選手との2度の勝負で1安打を許したものの、四回途中まで1失点(自責点0)と役割を果たした。
 試合はドジャースの逆転勝ち。李さんは「味方のエラーがなければもう少し長く投げられたと思う」と悔しがった。「ピッチクロック(大リーグで導入されている投球間隔の時間制限)は投手には大変なルールですね。気持ちを落ち着かせる時間もない。大谷さんが(ダルビッシュ投手に向けて)帽子を取ったりしていたら1ボールですもんね」。歴史的対決の余韻に浸っていた。
 ▽ダルビッシュ来店の噂を聞いて…
 話には続きがある。翌21日、店にはある日本人が訪ねてきた。ダルビッシュ投手が通っていた大阪の保育園の園長だという。ダルビッシュさんは当時3歳。母親の陰に隠れるようなシャイな男の子だったと思い出話を聞かせてくれた。22日には、ロイヤルズなどで投手として活躍したジェレミー・ガスリーさんも来店したという。ダルビッシュ来訪の反響は大きかった。
 店の外には小学生くらいの男の子が2人、歌を口ずさみながら通りかかった。店内にずらりと飾られたユニホーム(韓国シリーズ前は1枚だった)に気がつくと「Darvish!」と声を張り上げ、ガラスに顔を押し当ててのぞき込んだ。大リーグ開催の足跡は、静かな街角にもしっかりと刻まれていた。

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