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「普通の家族に戻る。それだけで2年もかかった」 ウクライナから逃れたサーカスのダンサーが語る、「祖国が侵攻される」ということ

 サーカスが始まると、陽気な音楽とともに青い衣装に身を包んだ4人の女性がステージに現れた。約100人の観客を前に、ウクライナ人ダンサーのイリナ・ボロンケビッチさん(31)も観客の手拍子に合わせて踊った。

「ワールド・ドリームサーカス」のステージで踊るイリナさん(中央)=2024年2月1日、徳島市
「ワールド・ドリームサーカス」のステージで踊るイリナさん(中央)=2024年2月1日、徳島市
サーカスのコンテナハウスでくつろぐイリナさんと長男マキシム君=2024年2月1日、徳島市
サーカスのコンテナハウスでくつろぐイリナさんと長男マキシム君=2024年2月1日、徳島市
「ワールド・ドリームサーカス」のテント=2024年2月9日、徳島市
「ワールド・ドリームサーカス」のテント=2024年2月9日、徳島市
サーカスのステージでウクライナの国旗を振るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
サーカスのステージでウクライナの国旗を振るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
ステージ上で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
ステージ上で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
テント裏のコンテナハウス=2024年2月9日、徳島市
テント裏のコンテナハウス=2024年2月9日、徳島市
赤い衣装で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
赤い衣装で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
ウクライナ南部ヘルソン州のロシア実効支配地域で、ウクライナ側を攻撃するロシア軍=2023年11月(タス=共同)
ウクライナ南部ヘルソン州のロシア実効支配地域で、ウクライナ側を攻撃するロシア軍=2023年11月(タス=共同)
「ワールド・ドリームサーカス」のステージで踊るイリナさん(中央)=2024年2月1日、徳島市
サーカスのコンテナハウスでくつろぐイリナさんと長男マキシム君=2024年2月1日、徳島市
「ワールド・ドリームサーカス」のテント=2024年2月9日、徳島市
サーカスのステージでウクライナの国旗を振るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
ステージ上で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
テント裏のコンテナハウス=2024年2月9日、徳島市
赤い衣装で踊るイリナさん=2024年2月1日、徳島市
ウクライナ南部ヘルソン州のロシア実効支配地域で、ウクライナ側を攻撃するロシア軍=2023年11月(タス=共同)

 音楽が変わると、イリナさんはステージを下り、テント裏のコンテナハウスへ。3歳の息子に手早く夕食を作り終えると、赤い衣装に着替えて再びステージに向かう。
 「世界で一番タフな仕事は、母親ね」。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1カ月後に来日したイリナさん。それから2年がたつ。徳島市に設けられたサーカス会場のコンテナハウスで、家族のこれまでとこれからを聞くと、戦争で生活を壊された人々の苦悩が垣間見えた。(共同通信=別宮裕智)
 ▽ダンサーを夢見て
 イリナさんは1992年、ウクライナ南部ヘルソン州に生まれた。この州は2022年9月、ロシアが一方的に併合宣言し、今も攻撃を受ける地だ。
 6歳からダンスを始め、将来は子どもたちにダンスを教えるのが夢だった。大学卒業後、旅行先で出会ったウクライナ人のバシルさん(37)と結婚。国内でダンサーとして活動するほか、中国のアミューズメントパークで働いた時期もあった。
 2019年3月から1年間は、大阪のサーカス「ハッピー・ドリームサーカス」に在籍した。もともと日本のアニメや漫画が好きで、日本文化に興味があったことから、日本での就職を決めた。福岡や佐賀、長崎など九州を巡業した。
 1年後に帰国し、マキシム君が生まれた。夫バシルさんと育児を協力しながら、自宅からオンラインでダンス講師を務めた。妊娠や育児で働けなかった2年間は、寂しく感じた。
 ▽ロシアの侵攻
 2022年2月24日、西部テルノピリ州の自宅で寝ていたイリナさんは突然、バシルさんに起こされた。
 「起きろ、起きろ、戦争が始まった」
 警報が鳴る度にアパートの地下に避難する日々が始まった。1歳になったマキシム君は当時、まだ歩けるようになったばかりだった。
 故郷のヘルソン州は、特に激しい攻撃を受け続けた。母や姉が心配で、毎日電話をかけた。
 以前在籍したサーカスの兄弟団体「ワールド・ドリームサーカス」への就職が2021年秋に決まっていたが、新型コロナウイルス禍の影響で渡航は延期になっていた。避難ビザを使い侵攻翌月の3月23日、日本を目指し、マキシム君と2人、バスでポーランドに向かった。夫は出国の許可が出ず、離れ離れになった。
 「私たちにとっては、侵攻ではなく戦争」。領土を守るため戦う選択をしたゼレンスキー大統領を支持し、ロシアの撤退を願っている。
 ▽再来日
 再び来た日本では、サーカスでパフォーマンスをしながら、一人で子育てもしなければならない。夕方に公演が終わると、コンテナハウスから歩いて約40分の公園にマキシム君を連れて行く。
 遊び終わったら、スーパーへ買い物に。ゆっくり休めるのはマキシム君が寝入ったあとの2時間ほどだ。夫とは毎日、ビデオ電話で連絡を取り合う。
 「来日した当初は、私は強いから平気と思っていたけど、1年もたつとかなりきつくなった。だけど、ステージに立つと『生きている』と感じる」
 数カ月ごとに各地を巡業するため、サーカス団員たちを大きな一つの家族のように思う。
 徳島公演は2023年12月~今年2月まで。徳島市で休日を過ごす時は、市内の「阿波おどり会館」を訪れたこともある。「ダンサーとして興味深い」と、一緒に踊って楽しんだという。
 かつて大分や佐賀で公演をした時に友達になった観客が、徳島まで公演を見に来てくれたこともあった。「こんなことをしてくれるのは日本人だけよ」。素直にうれしかった。
 ▽祖国はまだ戦乱
 昨年5月、1カ月間の休暇を取り、ウクライナに戻った。テルノピリ州にいる夫や母親、姉に久しぶりに会えてうれしかったが、毎日のように避難を促す警報が鳴り響き、状況は変わっていなかった。
 「今この瞬間に、ロシアに核兵器が使われたらどうしようと心配でたまらなかった。もしそんなことが起これば、ウクライナに戻る選択をした自分を、一生許すことができなかったでしょう」
 ▽移住先はカナダ
 サーカスとの契約は2月に終わる。3月からは、日本でも祖国でもなく、カナダに移住することに決めている。バシルさんの出国許可も、何とか取れた。
 カナダに縁はないが、移民が多く、英語が使える。日本では、夫バシルさんが一から日本語を学んで就職するには厳しいためだ。
 カナダでもダンサーを続けられるかは未定だ。バシルさんはコーヒーメーカーの修理工に就く。ウクライナでは銀行でのIT系の仕事だった。頼れるつてはなく、難しい決断だった。それでも、2年ぶりに家族3人で暮らせることに胸を弾ませる。
 マキシム君の出産から1年後、もう1人、年の近い子どもが欲しいと思っていた時に侵攻が始まった。できればカナダで娘を産みたい。「ようやく普通の家族のような生活が送れる。本当に楽しみで仕方ない」

いい茶0

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