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南アルプス環境保全 国の専門家会議「報告書」 貴重な生態系守れるか【大井川とリニア】

 リニア中央新幹線南アルプストンネル工事の環境保全について1年半にわたり議論してきた国土交通省専門家会議が最終的な報告書を取りまとめた。大井川上流部の沢の流量が減少し、生態系に影響が生じる可能性を認めた上で、現象が生じる場合にJR東海は、静岡県や静岡市と具体的な低減措置や代償措置を検討するのが適切な手法と結論づけた。報告書で整理された対策は、ユネスコエコパークにも登録される南アルプスの貴重な自然環境を守り、地元関係者の理解を得ることにつながるのか。成果と課題を読み解く。
 (政治部・尾原崇也、東京支社・山下奈津美) photo03 リニア中央新幹線計画ルート
生息場管理「最適手法」 photo03 工事に伴い流量減が予測された主な沢
 国会議は「大井川上流部の沢の水生生物」「高標高部の植生」「トンネル湧水の河川放流と残土置き場」の三つの論点について議論し、JR東海が委員の意見を踏まえて取り組む環境保全対策は適切だと報告書の中でまとめた。会議が特に時間を費やしたのが水生生物への影響と対策の議論だ。静岡市の水収支解析モデルを一部改良したシミュレーションで、主要な断層とトンネルが交差する箇所周辺にある悪沢や流沢など7カ所の沢での流量減少を予測した。生息するヤマトイワナやハコネサンショウウオなど希少生物の個体数減や、県指定希少野生動植物の高山植物オオサクラソウなど河岸の湿地植物への影響が懸念されるとした。
 有効な影響の回避、低減措置とされたのが、トンネル湧水を減少させる工法の「薬液注入」。地質調査結果などに基づき、流量減が予測される沢付近を掘削する際に実施するほか、工事前の地質調査結果や薬液注入の効果などを踏まえ、ほかの沢での対策にも柔軟に役立てるとした。
 薬液注入などの回避、低減措置を講じても、生態系の損失が生じる場合は代償措置を図る。水生生物については近隣の沢に生息場をつくり移動を促す措置を、水辺の植物は適切な場所への移植を、それぞれ具体例として挙げた。工事区域に位置する主な沢35カ所のすべてで流況・流量のモニタリングを実施するほか、沢流域に工事が到達する1年前から生物調査を行い、失われる生態系に対してどのような代償措置が適当か県や静岡市と検討するとした。
 報告書では、地質調査結果などを各対策にフィードバックし、随時見直しを図る「順応的管理」の手法で動植物の「生息場」を維持するのが、環境への影響を最小化するのに適切と指摘した。12月7日、報告書を斉藤鉄夫国交相に提出した後、取材に応じた中村太士座長(北海道大教授)は「(生物への影響の)最後の末端のところをいくら頑張っても現状では見えない。実際に(トンネル)掘削が始まった段階で対応していく」と述べた。
 報告書は国に対し、整理した保全対策が着実に進められているか継続的に確認することを求めたほか、JRには地域の関係者とコミュニケーションを十分に図り、保全措置以外でも南アルプスの環境保全や持続可能な利活用の取り組みに貢献することを要望した。 photo03 リニア工事で流量が減少し生息する水生生物への影響が懸念される悪沢の上流部=2021年8月、静岡市葵区(県提供)   photo03 水辺付近に分布し工事の影響が懸念される希少高山植物のオオサクラソウ=2013年7月、静岡市葵区の千枚小屋近く(同市提供)   photo03 工事の影響が懸念される沢での生息が確認されているハコネサンショウウオ=2021年8月、静岡市葵区(同市提供)
生息場管理「最適手法」トンネル湧水は対策検討
高山帯植生「影響なし」 水温水質対策は「適切」評価
   三つの論点のうち、高山植物が群生する「お花畑」は地下水の低下による影響を受けないとした。トンネル湧水は「大井川の水質や水温に変化を与える可能性がある」ことを前提に対策を検討。JRが提示した管理基準や濁り低減などの保全措置は「適切」と評価した。
 お花畑への影響は、荒川岳を中心に標高2千メートル以上に生育する植物群を調べた。掘削調査で高山植物の根は、地表から35センチ以内の地層の土壌水を吸い上げていると推測。一方、ボーリング調査の結果で、地表から30メートル以内に地下水位は確認されなかった。地表付近の地層の下には、水分ではなく空気を含んだ角礫(かくれき)層があり、「(高山植物の)水分の供給経路は地下深部の地下水ではない」と結論づけた。
 トンネル湧水の水質については、県条例よりも厳しい管理基準を設ける。濁水処理設備で水素イオン濃度などを基準値以下に処理した後、さらに濁りの少ないトンネル湧水と合流させてから河川に放流する。
 大井川の表流水は季節ごとに水温が変化する。一方で、トンネル湧水は年間でほぼ一定の温度になる。そのため、冬季に放流すると河川水温が上がってしまう可能性が指摘された。対策として、トンネル湧水を外気にさらしたり、積雪と混ぜたりして冷却してから河川に放流する。その際、魚類の産卵場所は避ける。
 水質、水温のモニタリングは放流前だけでなく、放流先の河川でも実施。状況に合わせて必要な対策の見直しを行うことにしている。

生息場管理「最適手法」県、工事前の調査 求める
着工 なお見通せず
photo03 県内でのリニア工事着手までの主な流れ
 県は、国会議の議論が不足したまま報告書がまとめられたと不満を示している。工事を進めながら対策を検討するのではなく、工事前に生物への影響を具体的に予測し、その価値に見合う代償措置についても関係者間で合意した上で工事に入るべきだと主張する。
 県は生物への影響予測の前提として、現在まで未実施の沢上流域の生物調査のほか、JRが、トンネル工事が沢流域内に到達する1年前から行うとしている生物調査を工事着手前に実施することも求めている。
 国会議で議論されなかった課題について県は年明けから県有識者会議専門部会でJRとの協議を再開する考えだが、国会議が具体的な方向性を示していない内容についてスムーズに合意に至るかは不透明だ。一方で、県や静岡市と十分な意思疎通を図るよう指導されたJRが、県の調査要望に全面的に応じた場合、調査だけで年単位の時間を要するとみられる。
 リニア着工までの今後の主な過程としては、報告書の中で新たに構築するとされた県、静岡市などとの「環境管理体制」と、県専門部会、静岡市協議会の3者間でまずは協議内容を整理する。環境管理体制は各種モニタリング結果を踏まえた保全計画の見直しや、環境への影響が懸念される事態が発生したときの対応を協議するための枠組みとされるが、具体的な内容は決まっていない。
 リニア工事着手には県、静岡市、大井川利水関係団体が水資源の保全を含めてJRの各種環境保全措置に合意する必要がある。川勝平太知事が県条例に基づく自然環境保全協定をJRと締結後、初めて静岡工区のトンネル掘削工事が可能になる。

生息場管理「最適手法」戦略的アセスの視点で検討を
IAIA元会長 原科幸彦氏に聞く
photo03 リニア事業の環境アセスについて見解を述べる原科幸彦学長=12月中旬、千葉県市川市の千葉商科大
 環境影響評価(アセスメント)制度の手続きを経て国が2014年10月にリニア事業を認可してから9年。品川-名古屋間286キロのうち10.7キロ区間である静岡県内で、なぜ環境保全に関する議論が長期間に及ぶのか。環境アセスに関する国際学会「国際影響評価学会(IAIA)」元会長の原科幸彦千葉商科大学長(77)=静岡市出身=は19日までに取材に応じ、JRによる環境アセス手続きの問題点と、南アルプスの特殊な自然環境を理由に挙げた。
 11年の環境アセス法改正で、事業の計画段階から開発箇所や規模などの案を複数提示、比較する「戦略的環境アセス」の取り組み「配慮書」の手続きが導入された。JRは同年6月、改正法施行を先取る形で配慮書を公表したが、実際は工事手法の複数提示などはなく、静岡市は次に示された方法書の市長意見で「改正法を先取りしているとは言いがたい」と批評した。
 原科学長も「固有種が多く、失うことが世界的な損失につながる南アルプスで基本的な生物調査や認識が不足していた」と当時のJRの姿勢を問題視し、現状を「アセスの初期段階で十分に検討しなかったつけが回ってきている」と分析した。
 環境保全の要求を続ける川勝平太知事に対し、ネットなどでバッシングが集中する背景についても「環境面だけでなく、事業の必要性や経済面の評価と合わせ、十分な情報公開のもと、国民的な議論をする戦略的アセスの手続きを踏まえていないからだ」とし、当時東日本大震災(11年3月)発生直後で国民的な関心が高まらなかったことも背景にあるとした。
 原科学長は、川勝知事が県議会の議場でリニア事業を念頭に「いったん止まって、改めて考え直す必要があることは(JRの丹羽俊介)社長と膝を交えて話したい」と述べたことに同調し、「交通需要に関わる社会経済状況が環境アセスを行ったころとは大きく変化している。時代に合っているのか改めて検討することが重要で、検討には戦略的アセスが有効だ」と述べた。

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