テーマ : 読み応えあり

【識者コラム】家族壊した夫婦の上下関係 「岸辺のアルバム」を見て 酒井順子

 昨年11月に亡くなった山田太一氏の追悼感覚で、名作として名高いドラマ「岸辺のアルバム」を初めて見た。

酒井順子さん
酒井順子さん

 1977年に放送されたこのドラマの舞台となっているのは、東京郊外。杉浦直樹と八千草薫が演じる夫婦と、大学生の娘(中田喜子)、高校生の息子(国広富之)が、多摩川べりの家に住んでいる。
 サラリーマンとして猛烈に働き、夜は接待、週末はゴルフでほとんど家にいない夫と、内職をしつつ家庭を守る妻は、当時としてはごく当たり前の夫婦像だったのだろう。真面目な姉と、大学受験を控えながらもあまり勉強をしない弟を含め、平凡で平和な家庭のように見えるのだ。
 しかし実は一家はそれぞれ、後ろ暗い事情を抱えているのだった。ドラマが進むにつれて、それぞれの“事情”が露見していき、家族崩壊の危機がやってくる。そんな時に多摩川に水害が発生し、主人公一家の家が流失。家族崩壊の危機に、家そのものが崩壊してしまうのだ。
 ▽47年の変化
 カネのことは夫が、イエのことは妻が、という完全分業体制のもと、経済力を持つ夫に妻が支配されるという家族の様式は、今にして見ると不自然に映る。しかし当時から山田太一は、そのような家族の形に違和感を覚えていたのだろう。
 めったに家にいることがなく、いてもイライラしている夫と、成長してほとんど家にいない子供達。そんな状況の中で妻は寂しさを募らせ、心の空隙を埋めるかのように、不倫に走るのだ。
 このように、一つ家に住みながらもバラバラで、誰が何をしているかわからないという日本の家族の状態に、山田太一は警鐘を鳴らしたのではないか。
 「岸辺のアルバム」の放送から47年がたち、日本はずいぶん変わった。杉浦直樹が勤めるのは大企業ということだったが、今の基準で見ると、そこはセクハラ・パワハラだらけ、働き方もハードすぎるブラック企業。夫婦像にしても、もちろん今も専業主婦志向の女性もいるものの、結婚しても出産しても仕事を続ける女性が増えてきた。
 「昔の女性は、よく経済力というハンドルを手放す気になれましたよね。離婚もできないじゃないですか。夫が早く死んでしまうかもしれないんだし」
 と、今どきの女性は言うのだ。
 「岸辺のアルバム」における杉浦直樹は、家事一切に手をつけないが、そのような夫も、消失した。たとえ妻が専業主婦であっても、今は多かれ少なかれ、夫も家事を担うのが当然となっているのであり、家のことはすべて妻任せという感覚を持っているのは、かなり上の世代くらいであろう。
 ▽カネとイエの分業
 夫婦共にフルタイムで働き、夫婦で家事・育児をしている知人女性に言わせると、
 「私の母親は専業主婦でしたけど、威張る父への愚痴ばかり言って、夫婦仲は良くありませんでした。私たちの方が、仕事も家事も子育てもと大変だけれど、夫婦が協力して何でもしていいし、互いが同じものを見ているので、両親よりずっと仲が良いかも」
 とのこと。
 日本では、近代になってから、「カネのことは夫が、イエのことは妻が」という体制を敷いてきたが、カネが大きな意味を持つ世において、その体制は夫と妻との間に上下関係を生じさせた。そんな中で、イエと夫に支配される、つまりは「岸辺のアルバム」の八千草薫のような妻達は不満を募らせたのであり、またそんな妻達を見て「ああはなりたくない」と思った娘達も少なくなかったに違いない。夫婦の分業制は若い女性達の結婚意欲をそぎ、晩婚化や少子化の原因の一つともなったのではないか。
 選択的夫婦別姓に反対する人々は、「夫婦で姓が異なると、夫婦の一体感がなくなる」と言うが、姓が同じか否かよりも、妻も夫も同じ立場でいられることの方が、夫婦の、そして家族の一体感は生まれるのではないか。…と、同じ姓でも気持ちがバラバラになってしまった「岸辺のアルバム」の一家を見て、私は痛感したのだった。(エッセイスト)
   ×   ×
 さかい・じゅんこ 1966年、東京都生まれ。立教大卒。軽妙なタッチで時代を切り取るエッセーで知られる。2004年「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞を受賞。著書に「処女の道程」「鉄道無常」など。近著に「日本エッセイ小史」がある。

いい茶0

読み応えありの記事一覧

他の追っかけを読む
地域再生大賞