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出征兵士宛てはがき米国に 家族ら、帰国待ちわび 昨秋、奈良の遺族に戻る

 「一日も早くお帰りになる日を待っております」「皆お兄さんの帰った夢ばかりみています」―。昨年11月、日本にいる家族が太平洋戦争へ出征した兵士に送ったはがきの写しが、米国から奈良市に住む遺族の手に戻った。投函は終戦後で兵士は既に戦死。帰国を待ちわびる切実な思いは届かなかった。遺族は「戦争はいろいろな人の人生を変えてしまう」と話す。

故松森慶三さんが正雄さんに送ったはがきの写し
故松森慶三さんが正雄さんに送ったはがきの写し
はがきの写しを手にする遺族の松森重博さん=1月、奈良市
はがきの写しを手にする遺族の松森重博さん=1月、奈良市
故松森慶三さん(右)、正雄さん(左)の写真とはがきの写し
故松森慶三さん(右)、正雄さん(左)の写真とはがきの写し
フィリピン・レイテ島、船が沈没したとみられる海域、奈良、旧満州
フィリピン・レイテ島、船が沈没したとみられる海域、奈良、旧満州
故松森慶三さんが正雄さんに送ったはがきの写し
はがきの写しを手にする遺族の松森重博さん=1月、奈良市
故松森慶三さん(右)、正雄さん(左)の写真とはがきの写し
フィリピン・レイテ島、船が沈没したとみられる海域、奈良、旧満州

 ▽混乱
 約13年前、米東部コネティカット州に住む男性が自宅の屋根裏ではがき約400通を発見した。主に終戦直後の半年間、フィリピンに出征した兵士などに宛てたもので、現在は米ラファイエット大が所蔵している。
 調査した同大のポール・バークレー教授や日本の国立博物館「昭和館」によると、はがきには連合国軍総司令部(GHQ)が検閲したことを示す印が押されている。兵士へ届かなかった理由は判明していない。バークレー教授は「終戦直後の行政の混乱が要因の一つでは」と推測する。
 送り主は両親や妻、友人などさまざまだ。幼い息子が京都府から父に送ったとみられるものには「そちらの方が京都よりもずっとあついでしょう」と記され、父の身を案じる心情がうかがえる。
 また「銀座に進駐軍の兵士がたくさんいる」「女性にも参政権が与えられ、男女同権になった」など当時の社会の様子を伝える内容も多く、昭和館は「人々の思いや日々の生活を知るうえで貴重な資料だ」としている。
 ▽沈没
 はがきの写しを受け取った奈良市の遺族は松森重博さん(75)。叔父の故松森慶三さんが兄正雄さんに送った一通で、シカの写真の裏に「都市は全部焼け野原となりましたが、京都と奈良は無事に残りました」「兄さんのお帰りの一日も早からんことを祈っています」としたためてある。はがきの背景を取材したNHK記者から渡してもらった。
 重博さんによると、2人は8人きょうだいの次男と三男だった。重博さんは長男の息子。慶三さんは生前、「一緒に富士山を登ったり、富士五湖で泳いだりした」などと正雄さんとの思い出をよく話したという。
 当時20代前半だった正雄さんは旧満州に出征していたが、戦況が悪化したフィリピンへの派遣を志願した。向かう途中のレイテ島沖で船が爆撃され沈没、1945年3月に亡くなったとされる。
 はがきが送られた同年12月、戦死の知らせはまだ家族に届いていなかった。正雄さんは帰国後に結婚する予定だったといい、重博さんは「どうか生きていてほしいと願って送ったのでは。帰ったら幸せになっていただろう」とつぶやいた。

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