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“世界へのランウエーであり続けたい”渋谷、原宿、竹下通り―「TOGA」デザイナー古田泰子さんと「VOGUE JAPAN」ティファニー・ゴドイ編集長が語るポストコロナ、アジア台頭、SNS時代のファッションとは? 「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~

 東京を代表するファッションタウン渋谷や原宿のストリートでは数々の若者の流行が生まれた。1980年代から90年代には「カラス族」「渋カジ」「裏原宿」などサブカルチャー的ファッションが次々と登場。2000代初頭に流行したギャル文化の要素をハイブランドやKポップが取り入れた「Y2K」も、いま注目を浴びている。国内外で人気のファッションブランド「TOGA(トーガ)」のデザイナー・古田泰子さんと世界的ファッション誌の日本版「VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン)」編集長のティファニー・ゴドイさんに、東京のファッションとカルチャーの昭和から平成、そして令和までの変遷、アジアの台頭など、世界の潮流について渋谷パルコで話を聞いた。(共同通信=内田朋子)

「TOGA(トーガ)」の作品を手に語り合うデザイナーの古田泰子さん(右)と「VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン)」編集長のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「TOGA(トーガ)」の作品を手に語り合うデザイナーの古田泰子さん(右)と「VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン)」編集長のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
カフェで談笑する古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコの「虎へび珈琲」(撮影・大島千佳)
カフェで談笑する古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコの「虎へび珈琲」(撮影・大島千佳)
TOGA(トーガ)の最新作2024SSコレクション(提供写真)
TOGA(トーガ)の最新作2024SSコレクション(提供写真)
「TOGA」の店内で洋服を見る「VOGUE JAPAN」編集長のティファニー・ゴドイさん(右)とデザイナーの古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「TOGA」の店内で洋服を見る「VOGUE JAPAN」編集長のティファニー・ゴドイさん(右)とデザイナーの古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「若い人たちの間では、男女の服の区別がどんどんなくなってきていると思う」と話す古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「若い人たちの間では、男女の服の区別がどんどんなくなってきていると思う」と話す古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「VOGUE JAPAN」編集長(ヘッド・オブ・エディトリアル・コンテント)のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「VOGUE JAPAN」編集長(ヘッド・オブ・エディトリアル・コンテント)のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
数々のストリートファッションが生まれた東京・渋谷の公園通りで、渋谷パルコを背景に立つ古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん(撮影・大島千佳)
数々のストリートファッションが生まれた東京・渋谷の公園通りで、渋谷パルコを背景に立つ古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん(撮影・大島千佳)
「TOGA(トーガ)」の作品を手に語り合うデザイナーの古田泰子さん(右)と「VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン)」編集長のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
カフェで談笑する古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコの「虎へび珈琲」(撮影・大島千佳)
TOGA(トーガ)の最新作2024SSコレクション(提供写真)
「TOGA」の店内で洋服を見る「VOGUE JAPAN」編集長のティファニー・ゴドイさん(右)とデザイナーの古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「若い人たちの間では、男女の服の区別がどんどんなくなってきていると思う」と話す古田泰子さん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
「VOGUE JAPAN」編集長(ヘッド・オブ・エディトリアル・コンテント)のティファニー・ゴドイさん=東京・渋谷パルコ(撮影・大島千佳)
数々のストリートファッションが生まれた東京・渋谷の公園通りで、渋谷パルコを背景に立つ古田泰子さん(右)とティファニー・ゴドイさん(撮影・大島千佳)

 ▽勢いあったストリート
 1997年に「トーガ」を設立し、2014年からはロンドンをコレクション発表の拠点にしながら活躍する古田さん。カッティングの方法、異素材をミックスし異なるテイストを融合させた斬新なデザイン、またすべてのジェンダーに向けた発信は世界中に多くのファンを持つ。
 22年にヴォーグジャパン編集長に就任して大きな話題を呼んだティファニーさん。米国の大学卒業後の90年代後半から日本を拠点に活動を始め、インディペンデント誌「コンポジット(Composite)」を皮切りにファッション誌の編集者としてのキャリアを積んできた。ニューヨーク・タイムズなど海外の媒体に日本のファッション情報を寄稿し、NHK番組「トウキョウ・ファッション・エキスプレス」ではナビゲーターも担当した。
 日本のファッション界をリードする古田さんのルーツは、10~20代を過ごした1990年代、ストリートファッションの中心的な舞台であった渋谷や原宿の街にある。
 原宿のファッション専門校の学生だったころ、授業に出席するより、竹下通りやファッションビル「ラフォーレ原宿」地下にあったショップなどに頻繁に通った。街を行き交う人々から大きな刺激を受けていたという。「今振り返ると学生時代は時間があった。デザインについていろんなことを考える余裕があって、『あんな服を作りたい』など友人たちとミスタードーナツなんかでフリーコーヒーを飲みながら何時間も話し合っていた」と笑う。
 当時の渋谷や原宿の街にはそれほど誰をも引きつけるパワーがあった。ファストファッションの流行が始まるずっと前、竹下通りには安くて流行の服を売る小さなお店や古着屋がいくつもあり、街行く普通の人々も本当におしゃれだった。
 ▽ネット時代幕開けの出会い
 ティファニーさんは97年に来日。渋谷のファッションビル「109」が10代の女性の聖地となった時期と重なる。「渋谷にはギャル文化、原宿にはラフォーレがあって、リッチで多様なスタイルがあふれていた。カリフォルニア出身で、パリにも住んでいたけれど、原宿は街自体がランウエーというくらいファッショナブルだった」。お金のある人たちがハイブランドを着る一方で、街を歩く人々はシンプルな黒い革ジャンとジーンズだけのパリとは対照的。「東京のストリートの一般の人たちのデーリーウエアの方が優れていた」とティファニーさんの目には映った。
 インターネットがなかった代わりに、ファッション誌が全盛の時代。女性誌「アンアン」、ストリートスナップ誌「FRUiTS」などが企画するページに載りたがる若い女性たちが、公園通りや明治通り、キャットストリートにあふれていた。
 古田さんとティファニーさんの出会いは、古田さんが東京でショーを始めたばかりの2000年代初め。「まだ若くて服を作ることに夢中で、メディア露出のためのビジュアルの作り方やキャンペーンを行う知識がなかった。その方法を教えてもらえる人を探しているとき、知人にギャラリーで紹介されたのがティファニーだった」。作った服の“見せ方”についてアドバイスをもらうようになった。「こうした方がいい」と的確な意見をいつもくれる。「ティファニーだったらどう思うかな」と考えることもあったという。
 ティファニーさんにとって「彼女はかっこいいことドキドキするようなことをしているデザイナーだったから、いろんな人たちを紹介してあげたいという気持ちにさせられた」「ちょうどインターネットが出てきた時代。洋服のエッセンスやブランドのカルチャーをネット上でどのように表現していくか、アーティストとどうコラボするかというプロセスが重要になっていった。そのためのビジュアルやイベントを巡って2人でよくディスカッションするようになった」。
 学生時代に渋谷や原宿界隈を友人たちと歩き回っていた古田さんは、ネット時代の幕開けとともにティファニーさんはじめ、編集やビジュアル、アート、デジタルなどの一線の人たちと知り合い交流し、デザイナーとして進化を遂げていった。
 ▽コロナ禍とエンタメ化の波
 古田さんの最新作2024SSコレクションのテーマは、「ASSERTIVE(積極的),FEMININE(女性的),APPROACH(接近)」。
 「コロナでロンドンでのコレクションの発表を中止するようになって、全てリモートでなにかを作るのも面白いなと思うようになっていた」「ランウエーでは、私が全て決めて動かさなければならない。でも、オンラインでは、アーティストやモデルにコレクションを送ってリモートで撮影するなどさまざまなことが試せるほか、尊敬する仲間たちに仕事を“ゆだねる”ことができた」。そんな経緯もあり「自分の中では今までとは違う環境に挑めてビジュアル像の幅を広げた」という。
 トーガのアートディレクター、ヨップ・ヴァン・ベネコムさんがくれた「僕は女性がどれだけ優秀か知っている。一度、女性だけのチームで仕事してみたら?」というアイデアも大きかった。ヨップさんが選んだパリ、ロサンゼルスなど海外の女性フォトグラファーたちに作品を撮ってもらい、そのうちの一人のオランダ人写真家リヴ・リバーグさんが「自分の中の“女性”を意識して写真を撮る」というスタイルの作家だった。それまでの古田さんは、男性モデルに女性服を着せるなどして「“ジェンダーレス”を分かりやすく表現していた」が、この写真家とのコラボレーションをきっかけに、「フェミニン(女性的)」な要素を作品に取り入れることに抵抗がなくなったと言う。
 あえて、ステレオタイプ的なリボンやレース、シャーリング、ピンク色などの素材や色を使い、それと相反するような女性らしくないデザインをぶつけてみた。「女性が抱える自己肯定と批判の共存、心身の不安定さを表現したかった」
 この日、古田さんの最新ファッションに身を包んだティファニーさん。「素材だけでなくルック全体がいつもと違い、普段はもっと一点一点を作り込んでいるが、今回はもう少しシンプルでおさえた印象がある」「でも、いつも世界トップクラスのアートディレクターたちと仕事をする中で、古田さんのビジョンが変化し、新しいアイデアにインテリジェンスを持って取り組んでいるのが分かる」
 コロナ禍はファッション界全体にも大きな影響を与えた。
 古田「コロナ禍の最中、個人的には、パリ、ロンドン、ニューヨークというファッションウイークのルーティンからやっと休める、ゆっくり見直して考える時間ができたと感じていた」「ところがコロナ後は、皆の復活がとても速くて、ファッションの世界ががらりと変わったと思う。“服を見る”というより“エンターテインメント”に寄っていくようになった」「そこには、ポジティブ、ネガティブの両面がある。ファッションは元々ビジネスであるけれど、これほどまでにその面が強く出てきたというのは、コロナ後の特徴なのではないかとも感じている」
 ティファニー「世界中の若い子はTikTok(ティックトック)を見ながら家の中でファッションを使って遊ぶようになり、急にアジアのファッションやエンタメが台頭し、2回目のグローバリズムが始まったと思う。アジアの国々で新たな男性像、女性像、新しい文化が生まれ、そのソフトパワーが強くなった。スマートフォンなどテクノロジーのおかげもあるけれど、アジアのファッションがエンタメ力を持ってきたというのがとても大きな現象だった」
 ▽国内外で女性像にギャップ
 ティファニーさんが言うように、韓国や中国など日本以外のアジアの国々のファッションやエンタメの勢いは近年著しく増している。
 古田さんは「新しい次なる現象が出てくるのは当たり前で自然なことだが、そこには変化を求める意思が反映されている」と話す。「例えば今まではハリウッド映画でも白人と黒人の俳優は出演していた。でもアジア人は長い間、同じ土俵にも上げてもらえなかった。それが最近は、スーパーヒーロー映画『マーベル』の中にもアジア人ヒーローが出ている。不意を突かれたようにアジアのエンタメが伸びているのが面白い」
 ティファニーさんは「アジアの若い世代のデザイナーたちの間では、リアルなショーとSNSでの発信の両方がアーティスティックになっている」とみる。中国のルイ・シェンタオ・チェンさんやディンユー・チャンさん、また香港出身のロバート・ワンさんら面白くて若いデザイナーたちがたくさんいるという。
 「ソウルではアートとファッションが同時に盛んでその組み合わせが面白い。上海ファッションも熱くて、国がファッションウイークなどいろいろサポートし、エネルギッシュになっていると思う。イベントも盛んで、ヴォーグが中国でカンファレンスを行い、米『ヴォーグ』の有名編集長アナ・ウィンターさんも参加した。香港も再びホットスポットになってきた。アジアはファッション業界にとって大事な場所になっている」
 一方、20年に高田賢三さん、22年には三宅一生さんと森英恵さんら戦後を切り開いた有名デザイナーが相次いで亡くなり、日本ファッション界はアジアの勢いとは対照的に岐路に立っているようにも見える。
 古田さんは「ブランドが発信するメッセージやその背景に共感を覚えられるかどうかをシビアに判断して、世界各国で若者たちが洋服を買うようになっている」と語る。「でも、今の日本が発している“女性像”が世界の中で支持されるかというと少し違う。国内で求められている像が海外とは一致しなくなってしまったのではないか。強さとか独立性が感じられないのかもしれない」
 エンタメの世界でも韓国の女性歌手グループは強いキャラクターを打ち出しているが、日本のグループは見せ方のベクトルが違う。自分の意思で選んだのではない、ある種の幼児性や性的なにおいを漂わせながら、大人の男性の言う通りに動いているように見える―「そんな女性像を演じることを美徳とする文化が日本にはいまだ一部あるのかも」と話す。「ファッションという視点で見た時、自分がトーガというブランドを通して、現代の女性たちのためにやりたいこととは、すごくギャップがあると感じている」
 ティファニーさんは「今の日本のファッション界は派手ではなく、目立つブランドが少ない。でも近くで見ると作り方や素材は凝っている」と言う。「アートとしてではなく、日々役に立つかどうかの視点で服を作っている。ビジネスとコストパフォーマンスを考えながらクリエーションしているのが日本人らしい」「一方で、大きな考え方をするデザイナーが少なくなっている。本当にこんなに現実的でドメスティックな方法だけでいいのかとも思う。もっと派手でもいい、アーティスティックなものを作りながら、コマーシャルな面も考えた方がいいのでは?」と疑問を投げかけた。
 「今はSNSを通して、世界中の日本のブランドのファンたちが、かつての日本のデザイナーの作品、日本のファッション文化が良かった時代から現在の様子までを見ている。だから、日本社会の現実の中で仕事しながらも、“いつも世界の人たちに見られている”ことを、今のデザイナーたちにもっと意識してほしいと思う」
 コロナ後に日本の若者たちのファッションを巡る行動が急に変わったと指摘する専門家も。古田さんは、若い人たちの購買行動やSNSによる変化については前向きに捉えているという。
 「トーガの女性服には、ずっと前から男性ファンが多くいたので、男性服も作り始め、男女の服を同じ売り場に置こうとした。でもカテゴリーを決めるのはお店側やバイヤーの人たちなので、『メンズの売り場でレディースの服は置けない』という問題が起こった」。そのため、ユニセックスのブランド「TOGA TOO(トーガ トゥ)」を立ち上げたところ、男女の垣根がなくなり売り場の問題も一気に解消されたという。
 「たったこれだけのことだったんだなって思った。世の中のシステムやそれを動かす人、ネットのスピード感を恐れずに行動すれば、いろいろな可能性が広がると思う」
 「社内の若いスタッフたちはSNSの使い方が本当に上手なので、お客さんとSNS上でのキャッチボールができるようになった。おかげで、若い人たちの買い物の仕方も良い方向に変化している気がするかな」とも話した。
 ▽社会の出来事を映し出す役割
 トーガのインスタグラムは、世の中の情勢にもアンテナを張りながら、ブランドの意思を表明するツールとして活用されている。
 古田さんは「社会で起きている出来事でファッションと関係ないことは一つもない。自分たちの生活や考え方と密着していると思ってもらい、それがトーガのデザインやビジュアルに表れているということを分かってもらえれば」と話す。
 ティファニーさんも「24年にヴォーグジャパンは25周年を迎える。これから世界でシビアなことがいろいろあると思う。その中で、どんな感じで女性にも男性にも社会的に役立てるのか?ということを考えている」「ヴォーグジャパンはリーダーであり、インフルエンサー。他の人がまだやったことがないことを紹介できる場所でもある。ファッションを楽しみ、それをパワーとして、私たちが出す情報からエネルギーを受け取ってほしい」と語る。「これからの日本をつくる若い人、そして大人も、そこから未来を描けるようなドキドキすることを感じてもらいたい」
 若い頃、大きな影響を受けてきた渋谷のストリートを、現在の2人はどんな風に捉えているのか? 「今でも最先端のカルチャーがある街。インバウンド(訪日客)であふれているけれど、ファッションについては、今は原宿より渋谷という傾向はあるかも」とティファニーさん。
 古田さんは渋谷パルコにもトーガの店舗を構える。22年9月にロンドン・ファッション・ウイークで発表した23年春夏のコレクションを体感できる展示イベントを昨年、館内のギャラリーで開催した。「現地へ行かなくても渋谷の街でランウエーの雰囲気を多くの人に味わってもらいたい」と考えたといい、「アーティスト志望の若い子たちが、自分たちの作品をどんどん発信できる場をもっとつくってほしい」と訴える。
 世界を舞台に活躍するデザイナーが、渋谷や原宿の街から育ち続けることを願わずにいられない。
   ×   ×   ×
 「VOGUE JAPAN」3月号(2月発売)のテーマは「アジアン・ドリーム」。ファッションやエンタメ分野の一線で活躍するアジア系クリエーターらを特集している。
 2月16~25日、渋谷パルコでポップアップストア「TOGA×BOY’S OWN」を開催。英国の有名レコードレーベル設立のきっかけとなった同人誌「ボーイズ・オウン」のグラフィックを使用したTシャツやコラボロゴ入りジャケットが並ぶ。

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