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【脳死臓器提供】顧みられないドナー家族 訪韓で感じた意識の違い 臓器移植ドナー家族の会「くすのきの会」代表 米山順子

 韓国臓器寄贈協会が昨年11月、釜山市の支援を受けて日韓臓器提供シンポジウムを開催した。数年前に脳死となった夫の臓器を提供した私はドナー家族として招待を受け参加した。

臓器移植ドナー家族の会「くすのきの会」代表の米山順子氏
臓器移植ドナー家族の会「くすのきの会」代表の米山順子氏

 韓国で脳死での臓器提供が法的に可能となったのは1999年で、日本は97年である。本人の同意がない場合でも家族の同意で提供ができるなど、法制度も日本に近い。しかし、2022年の人口100万人当たりの臓器提供者数は日本が0・88人に対し、韓国は7・88人と大きな差がある。
 韓国では「臓器提供」ではなく「臓器寄贈」と表現されることなど、今回の訪韓で多くの学びを得た。それとともに興味深かったのは、両国ではドナー家族の位置付けに大きな違いが見られた点だ。同協会が両国の青少年らを対象に行ったアンケートでは、韓国では家族に対する「礼遇」について「当然だ」と回答した人が最も多いが、日本では「よく分からない」と答えた人が最も多かった。また、シンポ後の慰労追悼会では、普及啓発に貢献した方だけでなく、何人ものドナー家族が表彰されていた。
 韓国社会は「臓器寄贈」という表現からも分かるように、臓器提供を善行と受け止め、ドナーの善行というだけではなく、ドナー家族による善行でもあると認識しているように思われる。ドナー家族の存在が社会で認められているのだ。
 一方、日本では、ドナー家族の存在は十分には認識されていないように思われる。理由の一つとして、かつての脳死臓器提供事例では、ドナー家族への配慮を欠いた過剰な報道がなされてきたことが挙げられる。臓器提供に際して、家族が公の目から隠れなければならないような状況が成立した歴史的経緯がある。
 それ以上に大きいのは、ドナー家族の位置付けが、ドナーの代理にとどまっている点である。しばしば、臓器提供はドナーになり得る患者の「権利」として語られる。患者には臓器を提供する権利があり、その権利を守ることは医療の義務である、と。日本では臓器提供は患者と医師の二者の事柄として捉えられており、家族は患者の代理でしかない。これに対応するように、臓器提供によってドナーは移植を受けた人や社会に対する貢献が認められるものの、家族の存在は顧みられることはない。家族は代理でしかないからだろう。
 本人の意思が不明である場合、家族の同意で臓器提供が可能となる。日本では約8割の臓器提供が家族の同意のみで行われている現状がある。本人の書面による意思表示があっても、家族の同意がなければ、臓器の提供は不可能なのだ。臓器提供には必ずドナー家族が存在し、この家族は提供に際して、患者のただの代理であるのにとどまらず、さまざまな思いを抱き、決断し、後になってもそのことを思い続けている。しかし、日本ではこうした家族の心情だけでなく、存在すら見えないのが実情ではないか。
 韓国での家族への礼遇には、提供に同意する家族の心情への尊重があるのを感じた。日本の移植医療や捉え方には大きな課題が残されている。
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 こめやま・じゅんこ 1977年大津市生まれ。2019年に家族の会を設立し、家族支援や啓発活動をしている。

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