「幸原」は「国府原」? 三島市内の地名の由来 冊子に 市中部地区自治会連合会
三島市中部地区自治会連合会がこのほど、市内の地名の由来についてまとめた冊子「地名は先人たちの賛美の声」を作成した。旧町名にまつわる歴史的背景も紹介し、原晴之会長は「地名の由来を知ると、三島は歴史がある町だと改めて気づく。皆さんにも見直してもらいたい」と期待する。
同市は1965年、旧市街地を中心に大規模な町名変更が行われた。郵便物配達に支障を来すなどの障害を解消するために制定された住居表示法の施行に伴う変更で、土地の歴史的背景などが込められた地名の多くが消えた。
原会長は町名変更後の75年に同市に移住。歴史好きでもあり、近隣住民が使う旧町名について関心を抱いていたという。約1年前に、現在の日の出町の一部だった「長谷町」を「ちょうやまち」と読むと知ったことを機に文献を掘り起こして他の地名についても改めて調べ、一冊にまとめた。
冊子には旧町名の現地名を明記し、歴史や特徴などを記している。現在の「幸原」はかつて国府があった「国府原」がなまって名付けられた可能性や、現「中央町」の「久保町」はくぼ地にあったことから名付けられたと言われていることなどを紹介している。
A4判80ページで400冊作成した。市内の自治会に配布するほか、市内の小中学校や図書館などにも寄贈する。