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テーマ : 三島市

農兵節㊤ 奥深い旋律 全国で愛され【しずおか学 地域のうた編】

「農兵節」普及に力を尽くした平井源太郎(1934年、三島市郷土資料館提供)
「農兵節」普及に力を尽くした平井源太郎(1934年、三島市郷土資料館提供)
昭和9(1934)年12月1日、三島駅開業祝賀会で披露された農兵節(三島市郷土資料館提供)
昭和9(1934)年12月1日、三島駅開業祝賀会で披露された農兵節(三島市郷土資料館提供)
「農兵節」普及に力を尽くした平井源太郎(1934年、三島市郷土資料館提供)
昭和9(1934)年12月1日、三島駅開業祝賀会で披露された農兵節(三島市郷土資料館提供)

 富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ
 富士のサイサイ 白雪朝日でとける
 (「三島農兵節普及会」資料より)


 三島市で8月に行われる「三嶋大祭り」のパレードで踊りと共に披露される「農兵節」は、同市民のみならず全国的に知られた伝承歌だ。同普及会事務局を務める市観光協会の中村俊介さん(49)は「小学生の頃は、毎年運動会で踊っていた」と述懐する。
 大正末期までは「ノーエ節」と言われていたが、作曲者は分かっていない。三島市郷土資料館によると、そのルーツについては主に四つの説がある。
 古くからの言い伝えは幕末に韮山代官だった江川太郎左衛門英龍(坦庵)が実施した農兵の洋式調練の際に、行進曲として歌われたというもの。長崎伝習から帰った家臣が音律を伝えたというが、史実としてはっきりしないところがある。
 現時点で有力なのは、1862年に横浜で作られた「野毛山節(ノーエ節)」が明治期の3回の流行を経て三島の花柳界に伝わったという説。「野毛の山からノーエ」を「富士の白雪ノーエ」に変えたのもこの頃とされる。ほかに「大阪経由伝来説」「オランダの行進曲由来説」がある。
 「農兵節」は、少しずつ旋律や歌詞を変化させながら三島にたどり着いた可能性が高い。1934年にはレコードが発売され、全国的に知れ渡った。現在、九州や四国などでも「農兵節」とほぼ同じ旋律の楽曲が受け継がれている。
 普及会の音曲部長で、同会の「唄い手」として40年以上活躍する秋永秀子さん(80)は「歌ってみれば分かるが、旋律の奥行きが深い。全国各地の人々に好まれたのは、メロディーの力だろう」と推察する。
 (教育文化部・橋爪充)

拡大の立役者 平井源太郎  全国に「農兵節」を広めた最大の功労者は、現在の三島市で生まれた平井源太郎(1882~1940年)とされる。
 大正末期、三島に駐留する砲兵連隊の軍人でにぎわう花柳界で歌われていた「ノーエ節」の歌詞を、地元の風物を取り込んで改めた。幕末の軍事教練のエピソードにちなんでタイトルを「農兵節」とし、踊りを完成させた。
 平井は農兵指揮官の格好である韮山笠、陣羽織姿で腰に刀を差し「農兵節」と書いたのぼりを立てて小田原、大阪などで踊りを披露した。地元の大根やサツマイモの宣伝活動を意図しており、実際に大阪市場の開拓につながったという。34年には歌手赤坂小梅らによるレコードが発売された。
 普及会の秋永さんは「平井さんの熱意があってこそ、今の『農兵節』がある」とたたえる。

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