あなたの静岡新聞
▶ 新聞購読者向けサービス「静岡新聞DIGITAL」のご案内
あなたの静岡新聞とは?
有料プラン

テーマ : 三島市

【境界から】米国 日系人収容所、塀越しの友情 超党派で協力、元下院議員ノーマン・ミネタと元上院議員アラン・シンプソン

2017年にハートマウンテン強制収容所跡地で開かれた式典を前に交流する故ノーマン・ミネタ(左)とアラン・シンプソン=米ワイオミング州コーディ(米紙ワシントン・ポスト提供・ゲッティ=共同) 世界は「境界」にあふれている。領土を巡る争いは絶えず、貧富の差や心の中の偏見が人々の分断を広げる。一方で生と死やジェンダーなど従来の二分法では捉えきれない動きも。激動する世界のはざまで生きる人たちの物語を追う。米国ワイオミング州「ハートマウンテン強制収容所」跡地、カリフォルニア州サンノゼ
 米西部ワイオミング州の山々を望む牧歌的な場所に「ハートマウンテン強制収容所」の跡地がある。真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争中の1942年に建てられ、多くの日系米国人らが有刺鉄線で囲われた敷地内での生活を強いられた。
 元米下院議員で日系人初の米閣僚となった故ノーマン・ミネタもその1人。収容所の近くに住み、塀を越えた友情を育んだのが元上院議員のアラン・シンプソン(92)だった。2人の交流は約半世紀後に米政府による日系人への謝罪と補償につながった。
 ボーイスカウト
 収容所は東京ドーム64個分に相当する約300ヘクタールの広さ。九つの監視塔から銃を抱えた警備員が敷地内に目を光らせた。
 約450棟の住居用木造バラックは狭く、安普請のため風で砂ぼこりが舞い込む。便所とシャワーは共用。元収容者のサム・ミハラ(91)は「居心地が悪い住居だった。冬は氷点下33度まで冷え込む日もあったが、断熱材がなく凍えるような寒さだった」と話す。
 ミネタは清水町出身の父親と三島市出身の母親が米国に移住後に生まれた。10歳の時に住んでいたカリフォルニア州サンノゼから一家ごと収容所に移された。
 所内で以前から取り組んでいたボーイスカウト活動に参加。43年に出会ったのが、近くの町のボーイスカウトに加わっていたシンプソンだった。
 シンプソンは「社交的な性格のノーマンとすぐに意気投合した」と語る。収容所の住居を訪れ、一緒に悪巧みしたことも。ボーイスカウトで野外にテントを張った際に、嫌いだった子のテントの周囲に溝を掘った。「雨が降って水が流れ込むようにいたずらしたんだ。するとテントが倒れ、水浸しになった」と思い出してシンプソンは笑う。
 実を結んだ情熱
 戦後にミネタはカリフォルニア大バークリー校を卒業し、市議を経てサンノゼの市長に71年に当選。シンプソンは祝福の手紙をしたため、「ボーイスカウトにいた大柄の子どもを覚えているか」と問いかけた。ミネタは「覚えているよ」と返信し、交流が再開した。
 79年1月に上院議員となったシンプソンが首都ワシントンに赴くと、下院議員に転身して3期目を迎えたミネタを見つけた。「再会にとても感激し、抱き合ったんだ」
 ミネタは民主党、シンプソンはライバルの共和党にそれぞれ所属。だが、2人の友情は塀だけでなく党の垣根も越えた。
 戦時中に米国で強制収容された日系人らは12万人超。謝罪と補償を米政府に求め続けてきたミネタの情熱が実を結び、レーガン政権下の88年に「市民の自由法(強制収容補償法)」が成立した。
 法案の審議中には両党の議員から「日系人に補償するとなると先住民や黒人はどうなるのか」といった反対意見が噴出。
 それでも「私は全面的に賛成した。実際に収容所に行き、そこで暮らす日系人の苦労を目にしたからだ」とシンプソンは強調する。「それにノーマンから(協力するように)しつこくせっつかれたからね」と振り返る。
 差別繰り返さぬ
 米政府は生き残った元収容者に1人2万ドルの補償金を支払ったが、対象となったミネタは頑として受け取りを拒んだ。ミネタの妻ダニーリア(78)は、司法長官だった故ジャネット・レノがミネタの事務所まで出向いて「あなたはこれを受け取らないといけない」と小切手の受け取りを迫ったのを目撃している。
 ミネタは根負けして受け取ったが、ダニーリアは「ノーマンは全額を日系人団体に寄付した。一銭も自分の懐に入れなかった」と証言する。
 2001年に米中枢同時テロが起きた時、ミネタは運輸長官だった。日系人初の米閣僚として商務長官を務めたのに続く起用だ。テロに憤る一部国民からは「アラブ系やイスラム教徒の航空機搭乗を禁止すべきだ」と憎悪の声が上がった。
 強制収容で味わった差別を「絶対に繰り返さない」と訴えていたミネタは、人種や信仰に基づく保安検査を「絶対にしない」と明言。米航空会社に対して差別的な扱いを禁止する通達を出した。
 ミネタは22年5月に90歳で死去。シンプソンは「率直で誠実、正しいことをするというスローガンを持った真のリーダーだった」と悼んだ。ハートマウンテン強制収容所跡地にある施設には「日本がハワイを爆撃」と伝える当時の新聞などが展示されている。担当者のレベッカ・マッキンリーは「反日宣伝が日系人への憎悪を助長した」と語る=米ワイオミング州コーディ(共同)
 ハートマウンテン収容所の跡地には、2人の友情と功績をたたえる施設「ミネタ・シンプソン・インスティテュート」が24年7月に開館する。2人はそれぞれ自分のライバル政党の大統領から、文民最高位の勲章「大統領自由勲章」を贈られた。互いの価値観を尊重し、協力しながら政治的な立場の違いを乗り越えた象徴として展示される。
 「ミネタとシンプソンはユーモアがあり、よく冗談を言い合って笑っていた」と運営するハートマウンテン・ワイオミング財団理事長のシャーリー・ヒグチ(64)は語る。「2人の友情の物語を通じ、理解し合い、協力することの重要性を伝える場所にしたい」と意気込む。
 (敬称略)
 深刻な分断
 シンプソン氏は「故ミネタ氏との最大の違いは靴の大きさだ」と笑う。2人は所属政党の違いを超えて連携したが、対照的に今日の米国は分断が深刻だ。11月の米大統領選で再選を目指す民主党のバイデン氏を「米史上最低の大統領だ」とこき下ろす前大統領のトランプ氏は、議会襲撃など四つの事件で起訴されながら共和党候補の指名争いをリードする。「トランプ氏が復権すれば米国を二分した南北戦争のような内紛状態になる」とみる友人の米国人の予想も絵空事とは思えない。

いい茶0
▶ 追っかけ通知メールを受信する

三島市の記事一覧

他の追っかけを読む