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家康三大危機「伊賀越え」助けた 小川孫三と西尾吉次 ゆかりの地・藤枝/掛川

 織田信長が明智光秀に急襲され横死した天正10(1582)年の「本能寺の変」の後、明智勢や各地の住民から命を狙われた徳川家康が、当時滞在していた堺(現大阪府)から命懸けで領地の三河(現愛知県)に帰還したとされる「伊賀越え」。家康の生涯三大危機に数えられることもある出来事が今夏、救った人物のゆかりの地である藤枝、掛川両市で注目されている。

家康を救った小川孫三を紹介する看板=藤枝市の白子名店街
家康を救った小川孫三を紹介する看板=藤枝市の白子名店街
伊賀越えに関する史料などが並ぶ展示「もうちょっと家康」=掛川市の大東図書館
伊賀越えに関する史料などが並ぶ展示「もうちょっと家康」=掛川市の大東図書館
家康を救った小川孫三を紹介する看板=藤枝市の白子名店街
伊賀越えに関する史料などが並ぶ展示「もうちょっと家康」=掛川市の大東図書館

 藤枝市本町の白子名店街は、伊賀越えの際に伊勢の白子(現三重県鈴鹿市)で家康を野盗からかくまった農民の小川孫三が、住み続けられなくなった故郷の代わりに家康から譲り受けた土地を切り開いて発展させたと伝わる。現在も同名店街の一角で、孫三の子孫・小川家15代目に当たる小川淳さん(64)が眼科医院を開業している。
 同名店街によると、家康とのゆかりを紹介する冊子が大河ドラマ放送で人気を集めて7月に品切れに。眼科そばに設置した孫三ゆかりの看板に見入る通行人も例年より多いという。今夏は孫三の縁で交流を続けてきた鈴鹿市の有志が藤枝市を訪れ、交流継続を確認した。同名店街の種子島時保理事長(67)は「伊賀越えへの関心の高まりが名店街の活気につながれば」と期待を寄せる。
 掛川市大坂の市立大東図書館は9月3日まで開催中の展示「もうちょっと家康」で、家康の伊賀越えに同行した西尾吉次をはじめ、西尾家に関する史料10数点を展示している。
 西尾家の家譜や系図によると、吉次は家康の父広忠のいとこ。幼少期に人質として織田家に預けられ、信長の家臣となった。武田勝頼からの高天神城(現同市)奪還時には信長の使いとして家康陣営に赴いた。
 伊賀越え当時は、信長から家康の接待役を任されていた。家譜には「東照宮伊賀路御越従勢州白子 御渡船三河国岡崎ヘ 帰御吉次日夜御側ニ奉仕」とあり、吉次が家康の帰還を警護したことが読み取れる。
 吉次は後に家康家臣となり、原市藩(現埼玉県)藩主となった。吉次を初代とする西尾家は4~11代目が186年間にわたり遠州横須賀藩主となり、掛川市周辺の発展に寄与した。
 同図書館の木佐森道弘さん(62)は「家康をきっかけに、掛川ゆかりの大名を多くの人に知ってもらえればうれしい」と語る。
 (教育文化部・鈴木美晴)

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