テーマ : どうする家康/徳川家康

コラム窓辺 鷹狩りと家康【中村羊一郎/静岡市歴史博物館長】

 初夢、ご覧になれましたか。一富士・二鷹[たか]・三なすび。どれも徳川家康のお好みとされていますが、なかでも鷹は特別な存在でした。大御所時代の家康は、言い方は悪いけれど、暇さえあれば鷹狩りに出ています。駿府近郊に鷹狩りに行った時、水田の水を落とせと言ってあったのに、水が抜いてないではないかと、関係者を牢屋[ろうや]に入れたほどの執心ぶりでした。

 鷹狩りの主役は鳩[はと]ほどの大きさのハイタカです。山中の巣から直接捕獲した幼鳥を巣鷹[すだか]といい、その捕獲と献上は地元民の義務でした。営巣保護区ともいうべき巣鷹山は梅ケ島と井川にそれぞれ数カ所ありました。村人は彼岸過ぎから鷹の飛翔[ひしょう]を見張り、巣を発見するや交代で番をし、夏至をめどに巣から下ろして代官所に持参しました。これを巣鷹御用といい、御褒美に米10俵をもらいました。
 駿河国で巣鷹御用の記録が見え出すのは家康死後のことです。江戸での木材需要が高まり、大井川上流部での伐採が進みます。「あそこで鷹をよく見る」という情報を得た代官が巣鷹捕獲を督励したのでしょう。この慣行は綱吉の生類憐みの令のために中止されますが、鷹狩り大好きの吉宗が巣鷹御用を復活しました。しかし、1762年を最後に梅ケ島での記録は絶えます。まさにその頃、伊豆から炭焼きや椎茸[しいたけ]作りの人たちが来るようになっていました。開発と環境変化という今日的な問題は、早くも巣鷹の歴史に垣間見えています。
(中村羊一郎=なかむらよういちろう/静岡市歴史博物館長)

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