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“嫌われ者“本多正信を描いた「徳川二十将図」(静岡市歴史博物館)【徳川十六神将⑥】

 大河ドラマによる徳川家康への注目を受け、関心が高まる有力家臣の絵図。
 静岡市葵区追手町の市歴史博物館で展示中の「徳川二十将図」には、家康を囲むように20人の鎧(よろい)姿の武将が描かれ、図の中央部に“家臣団の嫌われ者”とされる知恵者の武将の本多正信が描かれている。
 正信は、家康の生涯三大危機に数えられることもある永禄6(1563)年の「三河一向一揆」で家康に敵対する一揆側につき、一時追放された。加賀国に流れるなどした後、帰参が許されて頭角を現した。
 江戸時代の系図集「寛政重修諸家譜」には「両御所に奉仕して、乱には軍謀にあづかり、治には国政を司どり、君臣の間相遭こと水魚のごとし」との記述があり、家康からの信頼厚い謀臣として活躍した様子がうかがえる。江戸で二代将軍秀忠を補佐した自身と、駿府で家康そばに仕えた長男・正純と共に、父子で江戸幕府の創成期を支えた。
 正信は、家康家臣大久保忠教の著書「三河物語」の中で何度も批判されている。帰参者でありながら重用されたため、他の家臣から嫉妬されたと伝わる。武将図に描かれるのは珍しい。
 二十将図はことし1月のグランドオープン以来初の展示替えによりお目見えした。縦約100センチ、横約60センチで、紙本着色。9月18日まで展示予定という。江戸時代の作とみられるが、制作の依頼者や絵師は不明。学芸員の鈴木将典さん(47)は「作者と本多家との間に何らかの関わりがあったのではないか」と推測する。
 また、数ある徳川十六図で上段に描かれる4人の有力家臣「徳川四天王」が中段付近に描かれている点や、頻出の家康重臣の鳥居元忠が描かれない点も他図とは異なる特徴だ。

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