テーマ : どうする家康/徳川家康

島田市博物館「早川殿朱印状」永禄11(1568)年 氏真の妻の権力象徴【コレクションから⑩】

 北条家から今川家へ嫁いだ早川殿は、夫の今川氏真とともに波乱に満ちた戦国時代を生き抜いた女性である。早川殿が単なる氏真の妻でなく、確かに今川領国で権力を持っていたことが分かる資料が島田市に伝わっている。

島田市博物館「早川殿朱印状」永禄11(1568)年
島田市博物館「早川殿朱印状」永禄11(1568)年

 早川殿が笹間(現島田市川根町)にかつて存在した峯叟[ほうそう]院という寺に対して金子[きんす]を寄付することが記された朱印状である。女戦国大名ともうたわれる寿桂尼(氏真の祖母)は、自身の菩提[ぼだい]寺と定めた龍雲寺(静岡市葵区)の末寺として峯叟院を再興させようと、永禄6(1563)年に初めて峯叟院に金子を寄付した。
 早川殿の名で金子の寄付を再認する本文書が、寿桂尼没後の永禄11(1568)年に発給されていることから、寿桂尼の権限の一部を早川殿が継承したことがうかがえる。本文書は笹間の旧家岡埜谷[おかのや]家に伝えられ、早川殿の発給文書として確認できる国内唯一の貴重な資料である。
 武田信玄、徳川家康による駿河、遠江への侵攻後、駿府を追われ、国内を転々とした氏真・早川殿夫妻は、最終的には江戸に移住した。早川殿は生涯氏真に連れ添い、慶長18(1613)年に亡くなった。氏真も後を追うように翌年この世を去った。氏真・早川殿夫妻は観泉寺(東京都杉並区)に葬られ、現在も2人並んで眠っている。
 (岩崎アイルトン望・学芸員)

<メモ>
 島田市河原1の5の50<電0547(37)1000>
 「早川殿朱印状」は、9月24日まで開催中の第91回企画展「築城450年記念 諏訪原城」の後期(8月15日~)で展示される。

 

いい茶0

どうする家康/徳川家康の記事一覧

他の追っかけを読む
地域再生大賞