テーマ : どうする家康/徳川家康

ぷらっとTOKYO 北千住から南千住 鷗外、芭蕉のゆかりの地

 東京都足立区の北千住駅は、4社5路線が乗り入れるターミナル駅。「日本全国、北は北千住駅から南は南千住駅まで」という、ローカルギャグに触発されて、駅から真っすぐ南へ歩いてみた。

千住のオウ外碑=東京都足立区
千住のオウ外碑=東京都足立区
北千住、南千住かいわい
北千住、南千住かいわい
千住のオウ外碑=東京都足立区
北千住、南千住かいわい

 千住は江戸時代、日光街道の宿場町であるとともに流通の街としても繁栄した。神田、駒込と並び江戸三大青物市場と呼ばれ、戦前まで活気あふれる問屋街だった。現在商店街としてにぎわう旧日光街道沿いには、当時の店や問屋名を書いた木札があちこちに下げられている。
 文豪・森鷗外ゆかりの石碑「森鷗外旧居橘井堂[きっせいどう]跡」は、鷗外が千住で、父と医療活動に従事していたことを今に伝える。この頃の様子は、短編小説「カズイスチカ」に描かれている。
 千住大橋は徳川家康が江戸に入って、隅田川に最初に架けた橋。その近くには、俳人・松尾芭蕉の像がある。1689年、深川から船で千住に赴いた芭蕉は「行春[ゆくはる]や鳥啼[とりなき]魚の目は泪[なみだ]」という矢立ての初めの句を詠んで「奥の細道」への旅に出立した。
 隅田川を渡ると、荒川区の南千住。南千住駅近くには小塚原刑場跡がある。小塚原は品川の鈴ケ森と並ぶ仕置き場で、江戸時代、はりつけや斬首が執行されていた。跡地は延命寺で、大きな首切地蔵が無縁仏を静かに慰めている。
 小塚原は、「解体新書」を著した杉田玄白や前野良沢らが腑[ふ]分けに立ち会った場所としても知られる。刑死者らを供養するために開かれた回向院には、解体新書の扉絵をかたどった記念碑がある。
 また回向院には吉田松陰、橋本左内ら幕末の志士の墓がある。近年、アントニオ猪木さんら数々のプロレスラーを育成し「プロレスの神様」と称された、カール・ゴッチさんの墓も建てられた。

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