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徳川十六将ってどんな人? 平岩親吉/鳥居元忠/大久保忠世/渡辺守綱…四天王だけじゃない重臣たち【徳川十六神将②】

「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から酒井忠次・井伊直政・本多忠勝・平岩親吉。右列は上から松平康忠・榊原康政・大久保忠世・鳥居元忠
「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から酒井忠次・井伊直政・本多忠勝・平岩親吉。右列は上から松平康忠・榊原康政・大久保忠世・鳥居元忠
「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から鳥居直忠・内藤正成・渡辺守綱・米津常春。右列は上から大久保忠佐・高木清秀・服部正成・蜂屋貞次
「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から鳥居直忠・内藤正成・渡辺守綱・米津常春。右列は上から大久保忠佐・高木清秀・服部正成・蜂屋貞次
「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から酒井忠次・井伊直政・本多忠勝・平岩親吉。右列は上から松平康忠・榊原康政・大久保忠世・鳥居元忠
「家康及徳川十六将図」(伝 狩野探信)(久能山東照宮博物館蔵)をトリミング。左列は上から鳥居直忠・内藤正成・渡辺守綱・米津常春。右列は上から大久保忠佐・高木清秀・服部正成・蜂屋貞次

 徳川家臣団の中でも有名な「徳川十六神将」。それぞれどんな人物だったのか。久能山東照宮博物館の戸塚直史・学芸課長(37)に解説してもらった。
▶関連リンク Q&A 徳川四天王/徳川三傑ってどんな人? 大久保忠世 おおくぼ・ただよ(1532~1594)
 武田信玄や織田信長から武勲を賞されたと伝わる。家康が信玄に大敗した「三方ケ原の戦い」(現浜松市)の際には、犀ケ崖で武田軍を夜襲し、一矢報いたとされる。長篠の戦い後には二俣城(現浜松市天竜区)城主となり、遠江北部平定に貢献した。駿河や甲信地方での合戦でも活躍。関東移封後には、後北条氏の本拠地だった小田原城主となった。

鳥居元忠 とりい・もとただ(1539~1600)
 家康の駿府の少年時代よりそば近くに仕え、各地の合戦で活躍した。江戸時代の古地図では浜松城内の元忠の屋敷は「鳥居曲輪(くるわ)」とされ、城の重要な場所を守っていた。関ケ原合戦の前哨戦である「伏見城の戦い」で討死し、三河武士の鑑(かがみ)とされた。

平岩親吉 ひらいわ・ちかよし(1542~1611)
 幼少期から家康に従い、鳥居元忠と共に駿府へ赴いた。家康長男の信康の傅役(もりやく)となり、信康自刃の際には身代わりになると家康に申し出たという。その後も一貫して家康に仕え、家康八男・仙千代を養子とし、九男義直付の家老とされるなど、信頼の厚さがうかがえる。

大久保忠佐 おおくぼ・ただすけ(1537~1613)
 大久保忠世の弟。兄と同じく武勇に優れ、長篠の戦いでは織田信長に称賛された。「終に創(きず)を被らず」と生涯無傷だったとされる。関ケ原の戦い後には三枚橋城(現沼津市)を領した。

鳥居直忠 とりい・なおただ(年代不明)
 人物については不明。鳥居元忠の弟の忠広とも言われる。忠広は三方ケ原の戦いで活躍したが討死した。

高木清秀 たかぎ・きよひで(1526~1610)
 水野信元の下に属し、その後は織田家臣の佐久間信盛の旗下として転戦した。後に徳川家臣となった。豊臣秀吉からも武勇を称賛された。

内藤正成 ないとう・まさなり(1527~1602)
 松平家に早くから仕えた。弓の名手とされ、高天神城(現掛川市)攻めの際には「一発にして二人を倒す者尋常の射手にあらず」と賞された。

服部正成 はっとり・まさなり(1542~1596) 
 伊賀忍者を束ねて家康に仕え、数々の戦役に参加する。特に三方ケ原の戦いでは家康から槍(やり)を下賜されるなど、その武功が高かったことがうかがえる。信康自刃の際には介錯(かいしゃく)し、後に供養のために安養院西念寺(現東京都新宿区)を開創する。本能寺の変の後の「伊賀越え」では、家康の帰還の案内役を務め、危機を救ったと伝わる。

渡辺守綱 わたなべ・もりつな(1542~1620)
 桶狭間の戦い前から家康に仕えた。槍の名手とされ、多くの戦に加わった。三河一向一揆では一揆側につくも帰順を許された。三方ケ原の戦いの際には先鋒を務めた。その後も活躍し、家康九男の義直付の家老を任された。

蜂屋貞次 はちや・さだつぐ(1539~1564) 
 桶狭間の戦いの丸根砦攻めの際に家康に従う。三河一向一揆では家康と敵対したが、許され旗下に戻る。三河平定の吉田城攻めの際、渡辺守綱の命を助けた。しかし自身は本多忠勝と一番槍を競い、敵の銃弾で亡くなった。

米津常春 よねきつ・つねはる(1524~1612)
 家康父の広忠の時代から徳川家に仕えた。三河一向一揆の際には、岡崎城で一揆側の攻撃を食い止めた。翌年の三河赤坂の戦いで渡辺守綱と共に活躍した。米津勝政との説もある。

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