テーマ : どうする家康/徳川家康

「東海道図屏風(マッケンジー本)」静岡市歴史博物館【美と快と-収蔵品物語㊾】

 関ケ原の戦いで勝利を収めた徳川家康が、江戸と京都を結ぶ交通基盤として整備した東海道。江戸時代前期の様子を描写した「東海道図屏風[びょうぶ](マッケンジー本)」は、13日にグランドオープンする静岡市歴史博物館(静岡市葵区)の主要作品の一つ。太平の世を謳歌[おうか]する人々のいきいきとした姿を今に伝える。

東海道図屏風 (マッケンジー本)」 江戸時代前期(17世紀)作者不明
東海道図屏風 (マッケンジー本)」 江戸時代前期(17世紀)作者不明
「群書治要(駿河版)」1616年縦19センチ×横27.7センチ
「群書治要(駿河版)」1616年縦19センチ×横27.7センチ
静岡市歴史博物館
静岡市歴史博物館
東海道図屏風 (マッケンジー本)」 江戸時代前期(17世紀)作者不明
「群書治要(駿河版)」1616年縦19センチ×横27.7センチ
静岡市歴史博物館

多様な人物 綿密に描く
 峠の茶屋で一休みする旅人、城下を進む大名行列、商人、琵琶法師、猿回し―。多くの人が行き交う街道にさまざまな階層や職種の人が描かれ、町の喧噪[けんそう]が聞こえてきそうだ。
 画面全体にたなびく金雲の間から、眼下に広がる東海道を眺める構図。右隻に江戸から浜松、左隻に舞阪から京都が描かれている。富士川と大井川を渡る川越人足、三保の投網漁、由比の塩作りなど、江戸時代の人々がどんな衣服や道具で生業[なりわい]に従事したのかが分かる描写で民俗学上の資料価値が高い。
 作者は不明だが、同館学芸課長の広田浩治さん(56)は「狩野派の技法を学んだ絵師との見解がある。多様な人物を建物の内部にまで綿密に描いており、技術の高さがうかがえる」と推察する。
 品川宿には朝鮮通信使の一団も。豊臣秀吉の時代に関係が悪化した朝鮮王国との国交回復に努めた家康の外交政策が垣間見える。
 江戸開府以降さまざまな画家が描いた「東海道図屏風」は美術的価値が高く、上流階級しか所有・鑑賞できなかったと考えられる。しかし、江戸時代後期には、屏風に描かれた情報をまとめた旅ガイドが貸本として庶民の間に広まった。
 作品は1918年に来静した米国人茶貿易商ダンカン・マッケンジー氏が所有していた。マッケンジー氏はエミリー夫人とともに戦時中に一時帰国を余儀なくされたが、戦後再び静岡で暮らした。夫の没後、同市で社会福祉活動に取り組んだエミリー夫人が72年の帰国前に同市に寄贈した。広田さんは「愛着ある静岡の地が描かれていたことが、手元に置いた理由かもしれない」と語った。

治世の参考に駿府で出版
 天下太平を持続させるには学問が重要だと認識していた徳川家康が1616年、臣下の治世の参考にと駿府で刊行した政治学の書。原本は唐の太宗皇帝が「論語」などの古典から治世に関する要点を抜粋したもので、日本には全50巻のうち47巻が伝来した。
 朝鮮伝来の銅活字を基に「駿河版銅活字」を職人に鋳造させた。出版事業は、禅僧の金地院崇伝と儒学者の林羅山が統括した。
 家康が刊行した「群書治要(駿河版)」は国内に約30セット確認されている。

 静岡市歴史博物館 静岡市葵区追手町4の16。戦国大名今川氏や徳川家康に関する資料を中心に収集・展示し、歴史文化に関する学びと観光・交流の拠点となる施設を目指す。見学無料の1階に建設工事前の発掘調査中に発見された「戦国時代末期の道と石垣の遺構」を常設展示。2階は今川氏と家康、3階は東海道と駿府城下町、明治以降の静岡市を主題に据える。

いい茶0

どうする家康/徳川家康の記事一覧

他の追っかけを読む
地域再生大賞