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掛川とブラジル「交流再び」訴え サンパウロ州在住日系人から移民の父・平野運平の出身地の掛川市に手紙

 ブラジル移民の父と称される平野運平(1886~1919年)の出身地・掛川市に、サンパウロ州カフェランジアの「平野植民地」に暮らす日系人から手紙が届いた。「平野コロニーと掛川市の間に存在した親近感を取り戻したい」。世代交代が進んで地域の移民子孫が減少する中、ルーツをたどってつながりを深めようとする切実な思いがにじんでいる。

久保田崇掛川市長にブラジル日系人の思いを伝える中沢さん(左)=同市役所
久保田崇掛川市長にブラジル日系人の思いを伝える中沢さん(左)=同市役所
2008年に建立された平野運平の胸像=掛川市御所原の市生涯学習センター
2008年に建立された平野運平の胸像=掛川市御所原の市生涯学習センター
久保田崇掛川市長にブラジル日系人の思いを伝える中沢さん(左)=同市役所
2008年に建立された平野運平の胸像=掛川市御所原の市生涯学習センター

世代交代進み、切実  差出人は、平野植民地の互助組織「平野農村文化体育協会」のシゲマツ・シゲル会長とヤマシタ・カオル・ファビオ前会長。シゲマツ会長は「長年にわたり歴史的なつながりを維持してきたが、掛川市との関係は薄れてきた」とつづり、ヤマシタ前会長は「勇敢に開拓した先人から受け継いだ伝統と習慣を誇り高く守り続けている」とした上で、地域を離れる人が増え続けている現状を伝えた。
 2人と親交がある横浜市立大大学院の中沢英利子さん(65)=神奈川県鎌倉市=が仲介し、久保田崇市長に手紙を渡した。ブラジル日系社会を専門に研究する中沢さんによると、平野植民地は最も古くからある日本人開拓地として研究者の間で有名。「移民に希望を与えた平野は日系社会で英雄視されているが、出身地の掛川であまり知られていない。このギャップに驚いた」と話す。
 平野植民地には2007年に県ブラジル訪問団が足を運び、当時の知事や掛川市長らが平野の墓前で手を合わせた。現地の日系人は来訪に歓喜したが、日本語を話せる人が少なくなったことなどを背景に、関係は続かなかったという。
 シゲマツ会長らは平野植民地の開拓から110周年を迎える25年の記念祭に向けて、掛川市とのつながりが感じられる交流を期待している。久保田市長は「(15年の)100周年の時に何もしなかったのが悔やまれる。少なくともビデオメッセージは送りたい」と約束した。
 (掛川支局・高林和徳)

 平野運平 1908年に日本が初めてブラジルに送った移民団に現地で付き添った通訳で、入植の先駆者。日本人の自作農による農地経営を目指し、約4千ヘクタールの原生林を購入して1915年から開墾を進めた。多くの日本人移民が集まり、最盛期の平野植民地には300家族が暮らしていたとされる。享年34。命日の2月6日には毎年「平野祭」が営まれている。

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