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テーマ : 磐田市

【第1章】中学時代㊤ 体育祭 肩組み快走 友と思い出【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 「寺田家」と刻まれた墓石の前に立つと、大学2年生の秋田莉沙さん(20)は持参した白い花を添え、1人静かに手を合わせた。1月8日、磐田市内の墓地。「歩生[あゆみ]、元気だった? 私は昨日、成人式だったよ」。住んでいる大阪から同市の実家に帰省して式典に臨んだ秋田さんが亡き親友に報告した。体育祭の二人三脚で快走する秋田莉沙さん(右)と寺田歩生さん=2017年、磐田市内(歩生さんの両親提供)
 歩生さんとは中学2、3年生でクラスが同じだった。たくさんある思い出の中でも2年生の体育祭は特別、印象に残っている。二人三脚の種目でペアを組んだ。秋田さんは吹奏楽部、歩生さんは卓球部。ともに小柄で競走とは少し縁遠かった2人だが、肩を組んで快走しフィニッシュテープを切った。「速かったねー」。自分たちでも驚き、2人で小躍りした。
 歩生さんは、2年生の秋に骨のがん「骨肉腫」を発症した。夏頃から右足の痛みを訴えた。「成長痛かな」。両親は、そう思いながら市内の医療機関を受診すると、レントゲンに黒い影が映し出された。聖隷浜松病院(浜松市中央区)で精密な検査を行い、病名が判明した。
 「ショックとか、悲しいというより、事実を受け止められなかった」と父武彦さん(56)と母有希子さん(54)。体育祭はその直前の出来事だった。「1位はいい思い出だけど、無理させたんじゃないかって」。秋田さんは今も複雑な心境も抱いている。
 中学3年の春。学校では京都、奈良への修学旅行だったが、歩生さんは手術のため参加できなかった。有希子さんは、代わりにと病床の傍らで「歩生ちゃん人形」を手作りし、担任の先生に託した。東大寺、伏見稲荷大社…。秋田さんは各地で一緒に撮影し、思い出を残した。2人は高校は別だったが、歩生さんの体調を見ながら時々会い、貴重な時間をともに過ごした。歩生さんが2021年10月に亡くなってからも、お墓や自宅をたびたび訪ねた。着飾って成人式に臨んだ「歩生ちゃん人形」
 7日の磐田市の成人式。実は、歩生さんは秋田さんと同じ会場に“いた”。同じく成人を迎えた歩生さんのいとこの計らいで、大勢の同級生たちに紛れるように「歩生ちゃん人形」も式に臨んでいた。赤い着物で着飾り、胸に白いブローチを付けた人形。当日会えなかったという秋田さんに写真を見てもらった。「わぁ」。表情が一瞬明るくなり、次の瞬間、こみ上げたものを抑えるように口元に手を当て、大粒の涙を流した。二十歳の歩生の姿を重ねて。
   ◇
 他の生徒と同じように普通の中学校生活を送っていた寺田歩生さんは、2年の秋に骨肉腫を発症し、がんとの闘いへと人生が一変した。病状は重くなる一方だったが、持ち前の明るさを失わず治療を続け、高校合格を勝ち取った。そんな闘病前半の中学時代を描く。
 メモ  寺田歩生さんは、最初から病名を知らされていた。聖隷浜松病院で主治医だった井上善也医師(現浜松市リハビリテーション病院)は「子どもでも告知することにしていた。強力な化学療法を行い副作用も強い。自分がどんな病気か知っておかないと耐えられなくなる」と説明する。近年の医療現場の方針という。がんは治る病気という理解が進んできたことも背景にある。 <続きを読む>第1章・中学時代㊥ 抗がん剤効かず 苦渋の決断 人工関節に【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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