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テーマ : 磐田市

【第2章】高校時代⑤完 最後の成績通知 限界超え出席 証し刻む【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 静岡県立磐田北高は2021年3月、2年生に進級する寺田歩生[あゆみ]さんへの遠隔授業を出席扱いとすることを決めた。国は19年度、病気療養中の高校生が受ける遠隔授業を出席と認める方針を出したが、県教委は検討中の段階で、県内の県立高で初のケースとなった。実現したのは、歩生さんに関わった現場の先生たちの声が大きかった。

往診を受ける寺田歩生さん(右奥)。東京の病院とリモートでつなぎ治療方針を確認した=2020年12月、磐田市内(磐田在宅医療クリニック提供)
往診を受ける寺田歩生さん(右奥)。東京の病院とリモートでつなぎ治療方針を確認した=2020年12月、磐田市内(磐田在宅医療クリニック提供)

 「遠隔授業を出席扱いにしませんか」。同月、同校の職員室。歩生さんの学年主任や担任らが当時の鈴木真人校長(62)に提案した。遠隔授業は2学期に導入し、歩生さんは病室や自宅から授業や定期テストに参加できていたが、出席扱いにはなっていなかった。まだ研究段階だった。
 通信が不安定になる時もあったが、ほぼ問題なくやりとりできた。何より歩生さんが真面目に取り組み、成績は申し分なかった。鈴木校長は出席と認めたい思いはありつつ、当時は県教委から遠隔授業に関する実施要項が提示されていない上、授業をする先生の負担にならないか思案し、言い出せないでいた。「現場の先生たちから話があった時は本当にうれしかった」。広島県では、既に小児がんの高校生への遠隔授業を出席扱いしていた背景もあり、静岡県教委に「出席扱いします」と宣言した。
 一方、歩生さんの病気はさらに進行していた。4月下旬、左肺が肺炎を起こして入院し学校に通えなくなった。右肺は既に機能しておらず肺機能は危機的だった。失った右足だけでなく、左足も次第に動かすことが困難になった。体重は35キロを切った。体力の限界だった。6月、中学3年だった19年1月から続けてきた国立がん研究センター(東京)での治療を終え、自宅療養に切り替える決断をした。
 母有希子さん(54)が当時を振り返る。「歩生は何でも自分でする性格だったが、一つ一つできなくなった。夢や希望はあったけれど、そがれていった」。それでも、歩生さんは遠隔で授業を受け続けた。退院の3日後、自宅で酸素吸入しながら愛用のノートパソコンに向かった。1学期末のテストも自宅で受けた。
 歩生さんの成績通知票によると、1学期は「出席すべき日数」59日のうち、42日出席した。現代文B、数学2、物理基礎…。多くの科目で成績が付いた。成績を残せたのはこの1学期が最後となったが、治療を受ける体力さえ奪われた状態の中、留年を経て執念でつかんだ2年生の記録、そして高校生としての証しを刻み込んだ。

 メモ
 寺田歩生さんは、東京での治療と並行して2020年2月から、浜松医科大と磐田在宅医療クリニック(磐田市)の利用を始めた。非常時の支援や終末期を見据えての準備だった。実際、貧血を起こした際に同大に駆け込み、輸血するなど、よりどころとなった。同クリニックは定期的に往診し、病状に合わせて治療した。歩生さんの部屋と東京の病院をリモートでつなぎ、歩生さんを交えて主治医と治療方針を確認することもあった。
【連載】青春を生きて 歩生が夢見た卒業 バックナンバー

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