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テーマ : 磐田市

【第2章】高校時代① 苦痛からの解放 右足失う決心 迷いなく【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 2019年4月、念願の県立磐田北高に入学した磐田市の寺田歩生[あゆみ]さん。骨肉腫のがん細胞は既に肺転移していたが、比較的元気で両親に車で送迎してもらいながら登校した。部活動は生活文化部に入り、好きな手芸を楽しんだ。ほぼ毎日学校に通ったが、夏ごろ、右足に強い痛みが現れ始めた。

ポーズを取る寺田歩生さん。高校1年の冬に右足を切断した=2020年3月、磐田市内(歩生さんの両親提供)
ポーズを取る寺田歩生さん。高校1年の冬に右足を切断した=2020年3月、磐田市内(歩生さんの両親提供)

 痛みは、相当だったようだ。国立がん研究センター(東京)での治療に付き添った姉侑加さん(27)が就寝中、ふと目を覚ますと、ベッドサイドに座り右足をさする妹の姿が暗闇の中にあった。話しかけても無言の時もあった。薬が効いた日中は明るかったが、「夜は別人だった」。
 7月、同センターでの検査で右肺の腫瘍の拡大が判明し、右足と右肺への放射線治療が始まった。たくさん思い出を残そうと、3姉妹で東京ディズニーシーに出かけたのはこの頃だ。
 右足の腫瘍が皮膚の外に吹き出し、精神的にも参っている姿を見かねた主治医の荒川歩医師(44)は、「足を切断する選択肢もある」と提案した。歩生さんの母有希子さん(54)は驚いたが、「使えない足なら要らない」と、本人は言い切った。
 荒川医師によると、足を切断するのは、命を救える場合と、治る見込みはほぼないが強い痛みなどで日常生活が損なわれるだけになっている場合。歩生さんは後者だった。選択肢がないとはいえ、大人でもなかなか決められないという。「思春期の女の子にとって大変な決断だが、歩生さんは自ら決め、立派だった」。主治医は振り返る。
 12月9日。右足は根元から切り離された。周囲の心配をよそに、本人は前向きだった。家族には「すっきりした」と語った。少なくとも家族や医療関係者の前で、涙や心の乱れは見せなかった。義足をつくる提案も「要らない」と断った。
 精神的なつらさから解放されたのか、術後1週間後に病室のベッドの上で、黒いニット帽で覆面し、両手を広げてスパイダーマンのようなポーズを取る、ちゃめっ気あふれる写真が残されている。「右足を取ってからは素直に弱音もはいてくれた」。同校の当時の養護教諭増田紀子さん(46)=現浜名高=は、歩生さんの変化を感じ取った。
 手術や通院で欠席が増え進級に必要な出席日数が不足していた歩生さんは、年度末、もう一つの大きな選択を迫られることになる。
      ◇
 高校に進学した寺田歩生さんには、病状悪化による右足の切断などさまざまな試練が待ち構えていた。一方、学業に目覚め、本気で卒業を目指した。県内の県立高では前例がなかったある試みに挑み、それまでなかなか実現しなかった高校教育の現場に風穴を開けた。そんな高校時代をたどる。

 メモ
 寺田歩生さんや家族は、治療で上京した際、公益財団法人「がんの子どもを守る会」が運営するアフラックペアレンツハウスを利用した。小児がんなどの難病の子どもとその家族のための総合支援施設で、患者本人は無料、家族は1泊1000円で利用できる。専門のカウンセラーが、さまざまな悩みや困りごと相談にも乗ってくれる。歩生さんの姉侑加さんは「ペアレンツハウスで歩生と大切な時間を過ごすことができた」と振り返る。
<続きを読む>第2章・高校時代② 留年選択「卒業目指す」 家族の総意【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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