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テーマ : 磐田市

【第1章】中学時代㊥ 抗がん剤効かず 苦渋の決断 人工関節に【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 中学2年だった2017年秋に抗がん剤治療が始まった磐田市の寺田歩生[あゆみ]さんは、入院を機に日記を付け始めた。つらさや不安をたくさんつづっているのだろうかと想像したが、そうした記載は少なく、どちらかと言えば前向きな内容が多い。「学校行きたーい」「白血球が増えて外泊許可がでたよ。イェーイ!」。病を患っている人が書いていることをつい忘れそうになるほど、明るい。

入院中に寺田歩生さんがつづった日記
入院中に寺田歩生さんがつづった日記

 ただ、抗がん剤の副作用は容赦なかった。自慢のロングヘアがごっそり抜けた。「いつもは強気」(母の有希子さん)な歩生さんが、病室のシャワールームで1人シクシク泣いた。「さみしくなっちゃった」。自分以外若い人はいない大部屋の病室から深夜、家族にLINE(ライン)を送ってきたこともあった。
 骨肉腫は右足の大腿(だいたい)骨にできた。治療は当初、5カ月程度の予定だったが、効果がみられなかった。「1年程度かかるかもしれない」―。主治医は家族にそんな見通しを話した。「とすると、(来年)9月か…。長い療養になりそう。勉強も何とかしなければ」―。有希子さん(54)は、共有して書き進めた日記に吐露した。
 歩生さんは中学3年になってすぐ、有希子さんとともに石川県金沢市に行った。金沢大付属病院で、抗がん剤以外の治療法を探るためだった。有希子さんは到着した日の翌朝、病院の敷地を散策した。「桜の巨木が満開でみごとです」。現実を忘れさせてくれるような景色を日記に書き留めた。金沢は、静岡と違って肌寒かった。
 治療の選択肢はいくつかあった。液体窒素で患部の骨を凍結させ、がん細胞を破壊させる方法、患部や膝関節を取り除き人工関節を入れる方法、そして足を切断する方法…。足の機能はできるだけ残してあげたいと家族は考え、液体窒素による治療を望んだが、腫瘍が及んでいた膝関節を温存することは難しかった。
 苦渋の末、膝関節まで切除する人工関節を選択し、手術は無事成功した。金沢での入院は次女季世さん(24)の大学の入学式と重なった。日記には「行ってあげられず本当に申し訳ない」と母の文字。歩生さんだけでなく、家族も我慢が必要だった。
 歩生さんは、リハビリをしながら5月に通学を再開した。がん治療を始めた前年10月以来、およそ半年ぶりの登校だった。温かく級友に迎え入れられ、学ぶ意欲にも満ちていたが、わずか3カ月後、再発した。

 メモ
 寺田歩生さんの手術を手がけた金沢大名誉教授の土屋弘行医師(66)によると、骨肉腫は非常にまれながんのため国産の人工関節は需要が少なく、ほとんど普及していない。海外製が主流で欧米人の体に合うよう作られていて、日本人、特にその子どもに合う人工関節は非常に少ない。歩生さんの手術では、骨をできるだけ残しながら人工関節を入れる手術も検討されたが、こうした事情や歩生さんの骨が細かったことから、骨を多く切除する手法が選ばれることになった。 <続きを読む>第1章・中学時代㊦ 高校受験 転移に耐え 志望校合格【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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