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テーマ : 磐田市

【第3章】ついの別れ㊦ 精いっぱいの18年 希望 未来信じ 生涯全う【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 静岡県立磐田北高2年の寺田歩生[あゆみ]さんが亡くなったことは翌日の2021年10月14日、校内放送で生徒たちに知らされた。歩生さんは留年し、一つ上の学年にも友人がいたことや、歩生さんのために教室の配置を変えたことなどを踏まえ、学校側が判断した。

亡き娘への思いを語る寺田有希子さん。「よく頑張ったね」と=2月中旬、磐田市内(浜松総局・山川侑哉)
亡き娘への思いを語る寺田有希子さん。「よく頑張ったね」と=2月中旬、磐田市内(浜松総局・山川侑哉)

 5限目の冒頭に伝え、そのまま授業に入る段取りだった。歩生さんのクラスは国語の授業で、たまたま担任の杉山さやか教諭がついた。自身の口からも伝えようとしたが、こみ上げる感情を抑えられず、たまらず廊下に出た。
      ◇ 
 通夜は、磐田市内で営まれた。コロナ禍でもあり、学校は、参列を個人の判断に委ねたが、制服姿の生徒が会場を埋め尽くした。号泣し介抱される生徒、会場を離れられない生徒…。皆、突然の別れを受け入れられなかった。
 中学2年の秋、右足に違和感を覚えたところから、4年に及ぶ闘病生活が始まった。中学3年では、右足に人工関節を入れる手術を行った。それだけでも大きな決断だが、肺転移や右足の切断、留年といった、さらに厳しい局面が待ち構えていた。
 歩生さんは、遠隔授業がまだ出席扱いにならなかった2度目の1年生の時、自力で学校に通い、進級を勝ち取った。左足しかなく、松葉づえで体を支えた。輸血を受けた3日後に登校したこともあった。
 病気の見通しが厳しいことは、早い段階から分かっていた。それでも、卒業を目標に設定し、留年を選んでまで目指したのは、「歩生の未来を信じていた」(父武彦さん)から。最後まで望みは捨てていなかった。
 友達と楽しく青春を過ごして、恋をして、母になって―。「普通の人生を歩ませてあげたかった」。母有希子さん(54)は涙する。
 夢は砕かれた。だが、歩生さんは生きるとは何かを教えてくれた。家族は葬儀の会葬礼状に歩生さんへの感謝の言葉をつづった。
 <心折れそうになりながら現実を受け入れ、精いっぱい生き抜いた十八年間でした。あまりにも早すぎる別れに、寂しさと悔しさは拭えません。しかし歩生は“どんな場面でも希望を見失わずに生きることが命を全うすること”と私達に教えてくれました。「歩生、よく頑張ったね」。そう声をかけたなら、いつものように照れ笑いをするのでしょうか。弱音も口にせず精いっぱい歩んだ歩生は、私達家族の誇りです>

 メモ
 4年に及んだ寺田歩生さんの闘病生活。県内外の複数の病院にかかり、入院期間が1カ月以上に及んだ時もあった。右足の切断など大きな手術も受けた。高額になる治療費は、小児がんなどを対象にした国の小児慢性特定疾病対策や身体障害者手帳の取得、磐田市の小児・若年がん患者在宅療養生活支援事業などさまざまな制度を活用した。妹の闘病を支えた侑加さんは「歩生が病気になってはじめて社会に支えられていることを実感した」と感謝する。

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