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テーマ : 磐田市

【終章】遺したもの㊤ 友と恩師、闘い学んだ姿 今も心に【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 10代の女性2人は、ピンク色のリボンがかかった亡き友の遺影に静かに手を合わせた。緊張した雰囲気はすぐに解け、2人が高校時代の友とのエピソードを次々と明かすと、家中は笑いに包まれた。
 2023年末、磐田市内の寺田歩生[あゆみ]さん宅を県立磐田北高で2度目の1年生の時に一緒だった杉田沙穂さん(19)と増井由貴さん(19)、当時の養護教諭増田紀子さん(46)が訪ねた。歩生さんが21年10月に他界して以来、初めて“再会”を果たした。
寺田歩生さん宅で思い出を語る(右から)増井由貴さん、杉田沙穂さん、増田紀子さん=2023年12月、磐田市内
 がん闘病の傍ら懸命に学校に通っていた歩生さんは増田教諭のいる保健室によく通った。仲が良かった沙穂さんが、保健室にたびたび付き添ったことを話すと、増田教諭は「それは沙穂が休みたかったのもあるよね」とツッコミを入れた。
 歩生さんは、牛の形をした布製の筆箱を使っていた。席が近くだった由貴さんは、授業中に歩生さんと一緒に毛糸でできた短い尻尾の部分を編み込んで遊んだと、懐かしんだ。帰り際、「学校での様子が分かってよかった」と感謝した歩生さんの母有希子さん(54)に、沙穂さんらは「また遊びに来ていいですか」と深々と頭を下げた。
 歩生さんのことは、今でも折に触れて思い出す。職員室で、同僚の先生と振り返り、感傷的になることもある。保育を教えた同校の石川史子教諭は、そう言って涙を流した。
 保育は、歩生さんが病床で亡くなる前日に受けたテストで、臨んだ生徒の中で最高得点だった科目。石川教諭は、その答案用紙や歩生さんの提出物のコピーを大事に残している。大病を患った自身に重ね合わせ、原本の答案用紙に「あなたに恥じない生き方をしたい」と寄せた思いは、今も不変だ。
 歩生さんが所属した生活文化部の顧問でもある。「すごい先輩がいたんだよ」。いつか、自慢の教え子の生きたありさまを後輩たちに伝える機会を設けたいと、構想を温めている。
 寺田家では、出席日数不足で進級できないことが分かった時、通信制高校への転学や自宅療養に専念する道は選ばなかった。家族で真剣に話し合い、留年してでもとどまったのは、居場所や築いた人、社会とのつながりを大切にしようと決めたからだった。当時の決断は正しかったのか―。本人に確かめる機会は失われたが、答えは出ているのだろう。
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 4年間のがん闘病の末、県立磐田北高2年だった2021年10月に他界した寺田歩生さん。卒業を夢みて高校生活を全力で生きた歩生さんが、友人や恩師、そして家族に遺(のこ)したものは何か、たどる。
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 メモ
 寺田歩生さんが亡くなった時、多くの同級生が手紙を寄せた。同じクラスの女子生徒は「涙が止まりません。つらいこともあったと思うけど、一切みせないあゆみはすごいと思うよ。カッコイイよ」とつづった。歩生さんへの遠隔授業で教室側の端末の操作を任された女子生徒は、「いねむりしちゃって、たまに(端末の)向き変えれなくて、いつも歩生ちゃんがマイクONにして気付かせてくれたよね。おかげで先生に怒られなくてすんだことも何回もあったよ!!」と語りかけた。ほかの生徒も「リモートを通して元気な姿が見られてとってもうれしかった」「ずっと忘れないよ」と別れを惜しんだ。

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