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人口密集度の高まりで危険増 帰宅困難者対策が課題に 武村雅之特任教授に聞く【伝える 関東大震災100年と静岡 番外編】

 1日で発生から100年となった関東大震災。日本の自然災害史上最大の死者・行方不明者10万5千人余りを出した惨事が残した教訓とは何か。被災各地の揺れや被害、復興まで幅広く研究し、関東大震災研究の第一人者とされる名古屋大減災連携研究センターの武村雅之特任教授に聞いた。

名古屋大・武村雅之特任教授
名古屋大・武村雅之特任教授

 -1924年に発行された静岡県大正震災誌によると、県内の死者・行方不明者は443人、建物被害は1万3千件と甚大だった。どんな地震だったのか。
 「住宅の全壊率から推定すると、現在の震度階級で小山町の一部は最大震度7、熱海、伊東両市の一部は震度6強に達したとみられる。これらの地域は地震で動いた断層面の西端に近く、激しく揺れた。熱海、伊東は首都圏と合わせても最大の津波被災地だった」
 -なぜ静岡が最も津波被害が大きかったのか。
 「地震を起こした相模トラフ(海溝)のプレート運動と関係がある。神奈川県の相模湾沿岸部の大部分や千葉県の房総半島は、相模トラフの陸側のプレートに乗っている。陸側のプレートが跳ね上がって地震発生直後は最大10メートルも地盤が隆起し、神奈川や千葉では津波が遡上(そじょう)しにくかった。一方、熱海や伊東は相模トラフに沈み込む海側のプレートに乗っているため地盤は隆起せず、津波が遡上して大きな被害を受けた」
 -熱海、伊東で慰霊碑を調査されているが、どんな内容が記されていたか。
 「伊東市には慰霊碑や震災遺構が多く、20カ所を調べた。関東大震災と同じ相模トラフで起きた1703年の元禄地震と、関東大震災の慰霊碑が並ぶ場所もある。行蓮寺(同市宇佐美)には元禄地震60回忌に建てられた万霊塔があり、同地震では津波により宇佐美で380人余りが犠牲になった様子が詳しく書かれている。万霊塔のおかげで、関東大震災では宇佐美で誰も死ななかったと言われる」
 -首都圏も含め、10万人超の犠牲者が出た理由は。
 「火災旋風が起きて約3万8千人が亡くなった東京の旧陸軍被服廠(ひふくしょう)跡が注目されるが、地震で火災旋風が起こるのは珍しくない。最大の原因は大勢の避難者が大八車などで家財道具を持ち出したこと。密集度が増した中で引火し、人々が逃げ場を失った。『自分だけは大丈夫』という行動は危険をもたらす。現代で言えば自動車での避難も危ない。渋滞で動けなくなり、火災で車が引火するかもしれない」
 -人口密集度は当時より高まっているが、課題は。
 「東京は震災後の帝都復興事業で災害に強いまちづくりを進めたのに、第2次世界大戦後に経済成長を優先し、郊外にまた木造住宅密集地を作ってしまった。建物の耐震性や消防力は高まったが新たな被害を出す要素は多い。例えば高層ビルが林立する地区では、高層階の消火が困難な上、人口集中によって大量の帰宅困難者が発生し、地上の人々が密集して群衆雪崩が起きるかもしれない。帰宅困難者対策は大きな課題だ。震災100年を機に復興事業の理念を思い出し、地震に強いまちに造り替えていく必要がある」
 (聞き手=社会部・瀬畠義孝)

 たけむら・まさゆき 東北大大学院理学研究科博士課程修了。大手ゼネコン鹿島を経て現職。静岡大客員教授。内閣府中央防災会議専門委員、日本地震工学会副会長などを歴任。専門は地震学、地震工学。京都市生まれ。71歳。

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