テーマ : 気象・災害

珠洲市の病院「毎日がヤマ場」 浜松・聖隷三方原病院の派遣医師 発災124時間後救出の女性にも対応

 能登半島地震で被災した石川県珠洲市で災害派遣医療チーム(DMAT)として活動した聖隷三方原病院(浜松市中央区)の原田薫医師(33)ら4人が10日、静岡新聞社の取材に応じ、発災から124時間後に奇跡的に救出された珠洲市の女性(93)の救命活動の様子などを語った。「毎日がヤマ場だった。緊張感のある対応が続いた」と過酷な現場を振り返った。

地震発生から124時間後に救出された女性の救命活動に臨む原田薫医師(左から3人目)=6日夜、石川県の珠洲市総合病院(聖隷三方原病院提供)
地震発生から124時間後に救出された女性の救命活動に臨む原田薫医師(左から3人目)=6日夜、石川県の珠洲市総合病院(聖隷三方原病院提供)
DMATとして活動した被災地からの帰還を報告する(右から)小泉崚技師、有賀崇博看護師、鈴木友也看護師、原田薫医師=10日午後、浜松市中央区の聖隷三方原病院
DMATとして活動した被災地からの帰還を報告する(右から)小泉崚技師、有賀崇博看護師、鈴木友也看護師、原田薫医師=10日午後、浜松市中央区の聖隷三方原病院
地震発生から124時間後に救出された女性の救命活動に臨む原田薫医師(左から3人目)=6日夜、石川県の珠洲市総合病院(聖隷三方原病院提供)
DMATとして活動した被災地からの帰還を報告する(右から)小泉崚技師、有賀崇博看護師、鈴木友也看護師、原田薫医師=10日午後、浜松市中央区の聖隷三方原病院

 医師1人、看護師2人、臨床検査技師1人のチームで4日昼に浜松市を車で出発し、珠洲市総合病院で本格的な活動を開始したのは6日午前。同日夜、最大震度7を観測した地震発生から124時間後に救出された女性が集中治療室(ICU)に搬送されてきた。
 長時間にわたってがれきに足が挟まれていたため、圧迫から解放された際の血液の循環障害「クラッシュ症候群」になる懸念があった。足の腫れを解消するための切開手術や、有害物質が全身に回らないようにする処置を施した。他の派遣医師と連携し、朝まで対応に当たった。「容体が急変する可能性があり、予断を許さない状況だった」と原田さん。
 4人は9日まで被災地で活動し、現場の陣頭指揮などを受け持った。余震が続く中、大きな支障になったのは断続的な降雪。症状の重い患者らを被災地から離れた病院に移送する必要性に迫られていたが、ヘリの利用が制限された。陸路での搬送を併用し、車両の雪かきも率先して行ったという。
 10日に浜松市に戻った原田さんは「活動が終われば帰る家がある自分たちと違い、被災地の医療従事者は困難が続く。できることは限られているが、継続して支援していく」と表情を引き締めた。共に活動した有賀崇博看護師(47)は「困難が多い被災地であっても諦めることは許されない。命をつなぐため、やれることは全てやり抜く思いを持ち続けた」と語った。
 (浜松総局・岩下勝哉)

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