テーマ : 気象・災害

故郷との関係結び直す 能登半島 震災下の祭礼・神事 民俗学者・川村清志さん

 巨大灯籠が練り歩く「キリコ祭り」や独特の農耕儀礼など豊かな民俗文化が育まれてきた能登半島。元日に発生した地震で地域のインフラが破壊され、被災した住民が長期避難を強いられる中、祭礼や神事は存続できるだろうか。民俗学者の川村清志さんに聞いた。

石川県輪島市の集落皆月で行われる山王祭の様子=2019年8月
石川県輪島市の集落皆月で行われる山王祭の様子=2019年8月
能登半島地震で被害を受けた輪島市の集落皆月の神社。山王祭の拠点となる=1月26日(川村清志さん提供)
能登半島地震で被害を受けた輪島市の集落皆月の神社。山王祭の拠点となる=1月26日(川村清志さん提供)
川村清志さん
川村清志さん
石川県輪島市の集落皆月で行われる山王祭の様子=2019年8月
能登半島地震で被害を受けた輪島市の集落皆月の神社。山王祭の拠点となる=1月26日(川村清志さん提供)
川村清志さん

 1990年代から、石川県輪島市の入り江沿いにある集落皆月の夏祭り「山王祭」を研究しています。かつてはイワシ漁で栄えましたが、今では90世帯ほどの限界集落。ただ、祭りの時期は金沢や東京で働く若者が準備に戻り、にぎわいます。
 祭りは高さ3・5メートルの曳山[ひきやま]とみこしの行列がメイン。坂を駆け降りる曳山から落ちて大けがをすることも。なぜこんな危険なことをするのか。熱狂の源を知りたかった。
 面白かったのは準備過程で、小中学生が大人の監督なしに曳山を組み立てる慣習です。設計図はなく、ハンマーやなたを振り回し、けんかをしながら去年の記憶を頼りに作業する。こうして祭りを身体化していくのです。
 やんちゃだった彼らが今や30~40代で、祭りを中心的に担う青年会となりました。地元在住は数人ですが、強い熱意がある。周辺地域の祭りが消滅する中、新型コロナウイルス禍などの苦難を乗り越え、なんとか存続してきました。
 日本海に突き出た能登半島は、人や船だけでなく神仏も流れ着くという「漂着神」伝説が数多くあります。土地は狭く農耕が難しいゆえに、田の神様を自宅に迎え五穀豊穣[ほうじょう]を祈る儀礼「あえのこと」などが生まれました。祭りは、そうした土地から出稼ぎに出た人や船乗りになった人の同窓会の場という側面がありました。
 外部に開かれた場所だからこそ、帰ってくる場所としての祭りがある。現代でも、故郷と自らの関係を結び直すものなのだと感じます。
 そんなよりどころが、地震で破壊されました。1月末に現地調査を行いましたが、民家も道も、祭りの拠点となる神社の社殿も崩れ、2次避難のため人がいない。言葉が出なかったです。
 東日本大震災では、祭りや郷土芸能が被災者の心の復興に果たす役割が注目されました。祭りは五感に作用します。曳山を引く手の感触、太鼓の音、お神酒と木材のにおい-。それらに触れた時、変わり果てた風景の中に記憶が呼び起こされ「全て失ったわけではない」と思わせてくれます。
 青年会からも「祭りを続けたい」との声は上がっていますが、簡単なことではありません。外部の支援は必須でしょう。
 一方、無理な開催には慎重になるべきです。東北では、震災翌年に復興の象徴として再開したものの、その後は続かなかった祭りも多かった。一部の人が生活を犠牲にして頑張りすぎると、力尽きてしまいます。生活と文化のバランスを取りながら存続する方法を、住民と共に模索したいです。

 かわむら・きよし 1968年奈良市生まれ。札幌大教授などを経て2012年より国立歴史民俗博物館准教授。16年に輪島市の山王祭を追ったドキュメンタリー「明日に向かって曳[ひ]け」を発表。20年から奥能登国際芸術祭の民俗文化アドバイザーを務める。

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