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遺族「やっと帰ってきた」 遺体の一部 身元判明 不明2500人 捜索、確認続く【東日本大震災13年】

 2500人超が行方不明となっている東日本大震災では、今も各地で捜索や身元確認、相談会が続く。震災から12年以上の時を経た昨夏、岩手県沿岸部で見つかった遺体の一部が、高齢の男女3人のものと判明した。遺族の1人は「やっと帰ってきた」と、胸をなで下ろしている。

兄の健さんについて話す木下英子さん=1月、盛岡市
兄の健さんについて話す木下英子さん=1月、盛岡市
岩手県警が公開している身元不明者の似顔絵や着衣などの情報=2月、岩手県大槌町
岩手県警が公開している身元不明者の似顔絵や着衣などの情報=2月、岩手県大槌町
兄の健さんについて話す木下英子さん=1月、盛岡市
岩手県警が公開している身元不明者の似顔絵や着衣などの情報=2月、岩手県大槌町

 各地の県警によると、身元不明遺体は、岩手が47、宮城が6。福島は2016年に0になった。岩手県警は腕や脚といった部分遺体49についても調べを進める。昨夏判明したのは、部分遺体の身元だ。
 「遺骨がお兄さんだと確定しました」。23年6月、盛岡市の木下英子さん(78)は、県警から電話を受けた。11年3月11日の震災後、故郷の岩手県山田町で行方が分からなくなっていた次兄健さん=当時(74)=のことだった。英子さんは「夢みたい」と感じたという。
 子どもがおらず、英子さんの息子2人をかわいがってくれた健さん。英子さんは震災で長兄=当時(82)=も亡くした。故郷の墓に手を合わせてもむなしく、同じ墓所にある身元不明者の納骨堂にも合掌した。「旅行好きだったから、ハワイにでも行っているのかしら」
 生きているとは思っていないが、亡くなった確証もない。心にぽっかり穴があいたような、釈然としない思いを抱えていた。県警からの連絡で、健さんの脚の一部が震災直後に見つかり、納骨堂に納められていた事実を知ることができた。母親と同じ型が遺伝するミトコンドリアDNA型鑑定で、身元が判明した。英子さんは「諦めている方に『諦めないで』と伝えたい」と語る。
 今年2月14日、岩手県大槌町の交番で、不明者に関する相談会が開かれた。県警が沿岸部で開催し63回目となった。
 この日は1人暮らしをしていた母親が行方不明という女性(65)が初めて参加し、警察官が特徴や家族構成、最後の目撃情報を聞き取った。女性は「13年して、自分の中で、けじめをつけたかった」と語った。捜査1課の下野祝彰検視官は「一人でも多く、家族の元に帰したい」と話す。宮城県警は震災後に「身元不明・行方不明者捜査班」を設け、今も専従5人態勢で活動を続ける。
 身元判明は遺族の力になるが、分からないままの人が今も多い。福島県立医大の瀬藤乃理子准教授(臨床心理学)によると、災害などによる行方不明者のいる家族は、喪失体験そのものが不確実な「あいまいな喪失」の苦しみを抱える。身体的に不在でも、存在し続けているような心理状態のことで「さよならのない別れ」と言われる。瀬藤さんは「特有の心情を理解してくれる人と支え合って歩んでいくことが大切」と話している。

 東日本大震災 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生し、最大震度7を観測した。東北地方の沿岸部を中心に大津波が襲った。警察庁によると、23年2月末現在で、死者は1万5900人、行方不明者は2523人。復興庁によると、23年12月末現在で、震災関連死は3802人。東京電力福島第1原発事故が発生し、大量の放射性物質が拡散した。23年8月、同原発の処理水海洋放出が始まった。

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