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【現地ルポ】「膝まで海水、はだしで逃げた」 必死の避難、惨状に嘆息 石川・珠洲市宝立町、鵜飼/春日野 能登地震1週間

 骨組みだけの住宅や流されて積み重なったとみられる車両の光景に思わず息をのんだ。能登半島地震の揺れと津波で甚大な被害を受けた石川県珠洲市宝立町の鵜飼地区と春日野地区。懸命の救助活動が続く中、がれきの撤去や道路復旧の段階には到底至っていない。発生から1週間がたとうとしても、いまだ被害の生々しさが色濃く残っていた。
地震と津波で全壊した自宅近くでぼうぜんと立つ梶淑子さん=7日午前、石川県珠洲市宝立町(静岡新聞社取材班・小糸恵介)
 「膝まで海水に漬かりながら無我夢中ではだしで逃げた」。鵜飼地区の河口近くに住む梶淑子さん(77)は、夫の豊さん(78)と目指した普段なら徒歩5分の避難所への“2時間半”の道のりを振り返った。
 鉄筋、木造の混構造2階建て住宅で淑子さんは1階トイレ、豊さんは2階の書斎にいる際に揺れに襲われた。1階部分が押しつぶされる被害に遭いながらも、夫妻は奇跡的にけがなくがれきからはい出ることができたという。しかし、安心したのもつかの間、第1波とみられる津波が膝下まで流れてきた。
石川県珠洲市宝立町の鵜飼地区と春日野地区
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 身の危険を感じて着の身着のまま避難を始めたが、倒壊した家屋で道路は寸断され、津波の被害を受けたエリアも通行不能に。大きな迂回(うかい)を強いられ、日没で避難は一層困難を極めた。「辺り一面が暗く、どの道が安全か分からなくなった」。普段の30倍の時間を要し、命からがら避難所にたどり着いた。
 夫妻は、被災翌日から同県能登町の淑子さんの実家で生活している。7日には次男の文彦さん(47)と自宅の様子を見に来た。淑子さんは「貴重品を持っていきたいけど、1階はぺしゃんこで期待できないね」とため息をつき、黙々と2階部分で回収作業を進めた。
 鵜飼地区の北側と春日野地区の沿岸では、岸から数十メートルの位置に住宅が立ち並んでいたとみられる。ひび割れた道路には、毛布や食料、赤ちゃんの写真などが散乱していた。
「家のどこかに」母案ずる女性
 春日野地区で、津波に遭った実家から写真などを運び出していたのは宮前真寿美さん(66)=同県能登町=。この家に住む母浜田久美さん(89)は行方が分かっていない。久美さんは真寿美さんの弟求さん(61)と2人暮らしだった。地震直後、避難のために2人で玄関まで出てきたところ、津波が襲った。家の1階部分がほぼ海水に漬かった。求さんは神棚にかろうじて捕まり、救助された。引き波で数百メートル流された車が次の波で押し戻されるのを目の当たりにしていたという。
発災後初めて津波被害があった実家を訪れた宮前真寿美さん。母久美さんの安否を心配する=7日午前、石川県珠洲市宝立町
 「母はこの家が大好きだった。きっと家のどこかにいるはず」と真寿美さん。昨年12月に89歳の誕生日を迎えた久美さんは「100歳まで大丈夫」と笑顔で話していた。「どんな状態でも戻ってきてほしい」。がれきで埋もれた家の中をのぞき込み、そう願った。
​ (静岡新聞社取材班・中川琳、大石真聖)

 

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