テーマ : 気象・災害

中学生、親元に戻す工夫を 「ネットワーク三宅島」代表/宮下加奈さん 【能登地震 研究者や経験者 被災地へメッセージ】

 甚大な被害をもたらした能登半島地震。直面する課題にどう対応すればいいのか。これまでの国内災害で、長い間奮闘してきた研究者や市民らが、それぞれの教訓や今回の被災地へのメッセージを語った。

宮下加奈さん
宮下加奈さん

 能登半島地震で、学習機会確保のため中学生の集団避難が行われた。2000年の火山噴火で全島避難になった伊豆諸島・三宅島でも、小中高生が集団生活を送った。当時社会人で、自身も避難生活を送った「ネットワーク三宅島」代表の宮下加奈さんは「できるだけ子どもが親元から通う工夫が必要」と提言する。
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 先日、能登半島の被災地を回りました。厳しい状況です。中3は受験を控えていますし、学習に集中できるように、保護者の負担を和らげたいという意図は分かります。ただ、中学生の立場としては「しんどい」と思ってしまいます。
 三宅島では、寮施設があった都立高校で小中高生がまとまって生活しました。直後は修学旅行の延長のようで楽しくても、長引くにつれて、大勢の相部屋生活にストレスを感じる子どもが増えました。いらいらするようになり、トラブルも増えました。つらいことがあっても、逃げ込める場所がないのはきつい。親元から長期間離れる生活は、中学生でも精神的に厳しいはずです。
 今回の集団避難は希望制でした。短期間で決断を迫られた保護者や生徒の胸中を察すると心が痛みます。違う選択をした生徒との間に溝ができないか心配です。三宅島の全員避難は課題も多かったけど、一緒に乗り切った連帯感もできました。今回、一つの家庭でも、集団避難した中学生と、そうではない子どもとの間に壁ができないでしょうか。集団避難しない生徒が疎外感を抱かない配慮も必要です。
 三宅島の集団避難では、週末は親元に帰ることが認められていました。親が毎週迎えに来た家庭もあれば、一方で迎えに来ない家庭の子どもは寂しかったはずです。
 今回の集団避難先は被災地から遠く離れています。復旧活動で疲れた親が頻繁に訪れるのは現実的ではないでしょう。
 生徒が定期的に帰れる配慮、親と頻繁に会える環境を、スクールバスも活用してつくれないでしょうか。被災地に仮設校舎を建て、できるだけ地元の近くに親子で住み、親元から通えるようにしてほしいと思います。
 中学生は、将来の地域復興を担う貴重な存在です。私は中学生時代にも被災しましたが、間借り先での授業は振り返ればいい経験でした。被災地だからできる学習もある。子どもたちの気持ちが故郷から離れてしまわないような工夫を考えてほしいです。

 2000年の三宅島噴火 伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)で00年6月、火山活動が活発化。噴火が断続的に続き、村は同年9月、全島民約3900人に避難指示を出した。大量の火山ガス放出がやまず、全国に分散した島民の避難生活は長期化し、避難指示が解除されるまで約4年5カ月かかった。

 みやした・かな 1969年東京都三宅村生まれ。83年の三宅島噴火による溶岩流で自宅が被災。00年噴火で全島避難を経験、現在「減災・復興支援機構」専務理事。

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