能登地震 1カ月 被災者支援 トラブル続出 公助空振り 自助頼み【表層深層】
元日の能登半島地震から1カ月。正月飾りを付けた建物が多数倒壊し、少なくとも1万4000人以上が今も避難生活を強いられている。厳しい冷えに雪。石川県は災害関連死を懸念し、ホテルなどに2次避難所を約3万人分確保したが、県外が多く、トラブルも続出した。故郷に愛着がある被災者は二の足を踏み、仮設住宅も整備途上。公助は空振り気味で事実上の自助頼みだ。災害からは逃れられず、次を見据えた被災者支援策の構築が国に求められる。
段ボールベッドに横たわる高齢男性、疲れた顔で座る女性…。珠洲市の体育館の避難所では31日もまだ45人ほどが暮らす。米田初男さん(74)は「あっという間に1カ月。いつまで避難所が使え、いつ仮設に入れるのか。不安だらけ」。孤独な2次避難を泣いて嫌がる人もいたという。
ミステリーツアー
県は2次避難先となる金沢市や県外の施設に向かうバスを用意した。だが行き先は不明。輪島市の被災者が知ったのは金沢市に着くタイミングだった。1月中旬、情報を求め輪島市役所を訪れた人々は心細そうにつぶやいた。「どこに着くか分からないまま乗らされる」「まるでミステリーツアーバスだ」
希望期間や家族構成を考え、部屋割りを担うのは県だ。4日時点で最大3万4173人が避難所に詰めかけた。感染症まん延を危惧する市町側に押され、県はこの日、2次避難の準備に入った。
お役所仕事
受け入れが本格化したのは8日。しかし、用意した7割超が県外施設だった。希望者の多くは数カ月の滞在を求めるが、認められる期間は施設ごとに違い、途中で移動させられる人も。珠洲市で別の避難所の運営に当たった川端孝市議(60)は「場所の希望は出せず、富山、岐阜、どこになるか。親族でもない男女が同部屋のケースもあった。あまりにもお役所仕事」と憤る。
石川県の担当者は「走りながらやっている。ご批判をいただきながら日々改善していかないと…」と話すのがやっとだ。
31日時点で2次避難所にいる住民は4792人。1万人近くはまだ1次避難中で、当初避難した残りの約2万人は親族宅に身を寄せたり、半壊した自宅に戻ったり、自助でしのいでいるのが実態だ。2次避難後に「1人は寂しい」と最初の避難先に戻る高齢者もいる。
態勢づくり
県は仮設住宅などを3月末までに計約1万8200戸提供できるとするが、1万1700戸が名古屋や大阪などの県外で、移動がスムーズに進むかどうかは不透明だ。
被災者支援に詳しく、4日から県庁でアドバイスを続けてきた大阪公立大の菅野拓准教授は、多くの避難所は衛生環境が悪く、移動が望ましいとした上で「生活再建につながる行政情報はまとまりがなく、被災者には分かりにくい。被災者の不安を取り除くことが重要だ」と訴える。
集落ごとの避難を望んでも実現できる施設がない現状もある。
菅野氏は東日本大震災後、国は地元を遠く離れる避難が必要なケースが出てくると分かっていながら十分には手を打ってこなかったと指摘する。
今後も首都直下地震や南海トラフ巨大地震などが想定され「個人情報を速やかに自治体間で共有し、生活支援に活用できるようにすることや、高齢者支援の態勢づくりなど、すぐに始めるべきことはたくさんある」と早期の対応を求めた。
食事や設備…待遇に格差
能登半島地震の避難所では、食事や設備に格差が生まれ始め、待遇の劣る環境で暮らす被災者にとってはストレスになっている。政府や石川県が推進する旅館やホテルへの「2次避難」を巡っても、どの施設に割り振られるか不確かな場合が多く、支援の濃淡に避難生活が左右される事態に。
交流サイト(SNS)では、当たり外れがある状況を「避難所ガチャ」と嘆く書き込みも見られる。
県は1月8日、2次避難前の一時的な受け入れ先として「いしかわ総合スポーツセンター」(金沢市)に避難所を開設。身を寄せる人の増加により、約600メートル離れた「石川県産業展示館2号館」での受け入れが開始した13日以降は、重篤な要支援者らが優先的にセンターに割り振られてきた。
県はいずれの施設でも市販のパンやおにぎりを任意で食べられるように提供しているが、支援団体による炊き出しや、生活再建に向けた公的支援制度について弁護士らと話せる無料相談所はセンターに集中している状況。展示館で暮らす輪島市の40代女性は「隣なのにこんな格差があるとは…」と肩を落としていた。
内閣府が被災4県に適用した災害救助法では、食事提供の基準を1人1日1230円と規定。東日本大震災時には1500円に引き上げた事例もある。内閣府は県から要望があれば同様の対応を検討するという。
中学生避難 長期化懸念 子の生活状況不明 戸惑う親
能登半島地震で被災した石川県内の一部の中学生が集団避難を始めてから31日で10日~2週間。同級生との共同生活に「一緒にいられてうれしい」と前向きに捉える生徒もいる一方、避難先でのわが子の暮らしぶりが分からず戸惑う親も。県は避難を「最長2カ月」としているが、地元での生活基盤の確保に見通しが立たない状況で、長期化への不安も付きまとう。
「避難所にいた時よりずっといい」。1月21日に金沢市の県立施設へ避難した珠洲市立宝立小中の中3泉アサキさん(15)は話す。地震直後に寝泊まりした通学先の校舎では、カップ麺中心の生活だった。施設では手作りの食事が1日3食出るほか、昼休みには体育館でバレーボールなどをして遊べる。「困ることと言えばテレビが見られないことくらい」
勉強できる環境もそろう。通常通りの授業に加え、夜間は補習を受けたり自習スペースで学習したりする。3月上旬に地元高校への受験を控え「勉強に集中できる。ありがたい」と話した。
1月17日に白山市の県立施設へ集団避難した輪島市立輪島中。サッカー部員は1月最後の週末、地元中学校とフットサル大会で交流した。中1の息子と10日ぶりに再会した40代女性は「学校からの広報がほとんどない。情報が遮断されている気がする」と漏らす。
毎日の食事の詳しい内容や部屋割りの状況は共有されていないという。生徒が発熱した場合の対応も気になっている。
集団避難しているのは珠洲、輪島両市と能登町の希望した約400人。県によると、金沢市の県立施設に避難した142人のうち、31日時点で8人が地元に帰還した。県は遅くとも3月下旬には全員を元の学校に戻す見通しを示すものの、水道などインフラ復旧が遅れれば、4月以降まで長引く可能性がある。
輪島市の避難所で中3の長男の帰りを待つ輪島塗職人小路貴穂さん(52)は自宅が傾き、申請した仮設住宅の入居時期も不明だ。「早く帰ってきてほしいが、まだ生活環境が整っていない。先が見えない状況だ」と複雑な心境を吐露した。