テーマ : 気象・災害

亡き妻へ「約束守ったよ」 小6の息子、娘は就学前―13年間の育児 仙台の男性 成長見届け、新しい一歩

 ひつぎに入れた手紙に「命懸けで子どもを守ります。安心してください」と記した。東日本大震災で妻を亡くした仙台市の会社員岩淵正善さん(49)は、ひとり親として子育てに励んだ日々が一段落した。妻へ「約束を守ったよ」と伝えたい。怖かった海に入ったり、語り部を始めたり、自分のペースで歩み出している。

家族との思い出が残る海岸を歩く岩淵正善さん=2月、宮城県東松島市
家族との思い出が残る海岸を歩く岩淵正善さん=2月、宮城県東松島市

 妻けい子さん=当時(36)=とは千葉県の勤務先で出会った。カラオケや飲み会が趣味で、気が合った。結婚し、自身の地元の宮城県に転居。2人とも海が好きだったため、沿岸部の東松島市で暮らし、長男遼太郎さん(25)、長女あいさん(19)に恵まれた。
 2011年3月11日。仕事で仙台市中心部におり、東松島市に戻れたのは夜。避難所で子ども2人と会えた。翌日、近所で妻の遺体を見つけた。車の中にいた。避難の途中で津波にのまれてしまったようだった。
 火葬まで1カ月ほどかかった。ビールや唐揚げ、ケーキや栗…。妻が好きだったものを子どもとクレヨンで画用紙に描き、1枚ずつ、ひつぎに入れた。
 小6だった息子はあの日、通っていた野蒜(のびる)小の体育館で津波にのみ込まれ、生き延びた。迎えに行った時、ガタガタと震えていた。その年の夏休み明けから1カ月ほど不登校になった。
 震災の年の春に小学生になった娘は「お母さんの夢を見た」と言って泣いて起きてくることもあった。
 どう声をかけたらいいのか分からなかった。口数の少ない息子との関係、娘の生理の対応…。思春期にも悩みは尽きない。学校の先生に相談したり、支援団体のプログラムに参加したりして、できることを精いっぱい探した。
 振り返ると、子育てはつらいことが多かった。それでも、たくましく成長してくれた。震災から10年が過ぎた21年春、息子は社会人になった。娘も高校生になり、青春を楽しんでいた。不意に、海に行こうかと思った。妻を奪った海。見るのも怖くて、近づかないようにしていたのに。
 その年の初夏、若いころ楽しんだサーフィンの道具をそろえ、海に入った。波の揺れが心地よく感じられた。
 昨年から宮城県石巻市の津波伝承館で語り部を始めた。今年1月に起きた能登半島地震の被災地に「自分と同じような思いをしている方がいるのでは」と心を寄せる。体験を伝えたい気持ちは、さらに強まった。「時間はかかるけど、一歩を踏み出せる日はくるはず」。13年かけて、そう思っている。

 

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