テーマ : 気象・災害

能登地震 「海底見えた」津波直感 迫る濁流、家屋襲う

 倒壊家屋に取り残されている家族や知人の救出作業を激しい雨が阻んだ。能登半島地震で甚大な被害が出た石川県内は6日、午前中から荒天に。懸命の捜索は二次災害の恐れからたびたび中断した。現地入りした地元出身の消防隊員は「一人でも多く助けたい」。死者は発生6日目で100人を超え、120時間以上を経て生存が確認された90代の女性も。7日以降は雨や雪の荒天も見込まれ、困難な状況が続く。

堤防を乗り越えて石川県珠洲市街に迫る津波=1日(住民提供)
堤防を乗り越えて石川県珠洲市街に迫る津波=1日(住民提供)
津波の被害を受けた石川県珠洲市の鵜飼漁港周辺=2日
津波の被害を受けた石川県珠洲市の鵜飼漁港周辺=2日
能登半島での津波の目撃
能登半島での津波の目撃
堤防を乗り越えて石川県珠洲市街に迫る津波=1日(住民提供)
津波の被害を受けた石川県珠洲市の鵜飼漁港周辺=2日
能登半島での津波の目撃


 最大震度7の地震を観測した石川県・能登半島では、津波が沿岸部の住民や家屋を襲った。「潮が引き、海底が見えた」。海はゴーとうなりを上げ、水面が黒く盛り上がる。2011年東日本大震災以来となる大津波警報も。激震、海の異変に危険を感じ、過去の津波を想起して高台へ急いだ。住民が当時の様子を振り返った。
 能登半島のほぼ中央部に位置し、震度7を記録した志賀町。1日夕、会社員高岡守さん(51)は、自宅近くの福浦港の潮が引き、海底があらわになる様子を目撃。東日本大震災が頭をよぎり、津波の襲来を直感した。
 「津波だ、逃げろ」。近所の人に叫びながら車で高台へ逃げると、波がガードレールと道路を乗り越え、海抜3メートルほどに立つ住宅に迫った。
 小学生だった1983年、秋田県などで100人超が犠牲になった日本海中部地震の津波を、福浦港で見ていた。当時も潮が引いたのを覚えているが、これほどの波は初めて。「生きた心地がしなかった」
 近くの男性(64)は同じ頃、自宅にいてテレビから避難を呼びかけるアナウンサーの強い口調に、頭が真っ白になった。冷静になるため電源を切り、深呼吸をして避難。何度も波が押し寄せ、その後、大波が来た。自宅は基礎部が浸水した。
 半島の反対側でも住民が津波を見ていた。珠洲市の鵜飼漁港近くの実家に帰省していた金沢市の大工寺山武さん(52)は、四つんばいになっても転ぶほどの強い揺れの直後、河口付近の潮が引くのに気付いた。警報を受け、サンダル履きのまま家を飛び出した川口昇さん(67)は避難所の屋上で、海面が盛り上がる様に衝撃を受けた。
 白い波が東から次々に押し寄せ、堤防に当たって濁流と化した海水が町に流れ込むのを見たのは、珠洲市飯田地区の男性(55)。避難の途中で車を乗り捨て、高台の小学校に向かった。
 飯田港(同市)は複数の船が陸に乗り上げ、海上でも10隻以上が転覆した。岸壁のコンクリートははがれ、流された車や電柱が住宅に突き刺さった。もともとそこに立っていたかのように、砂浜に流れ着いた家も。一変した町の姿に、住民は「珠洲市自体がなくなってしまうのではないか」と悲痛な表情を浮かべた。

新潟市の住宅被害 2000超も
 能登半島地震による新潟市内の住宅被害が2千を超える可能性のあることが6日、分かった。5日の県の発表で被害は150棟だったが、被害実数と開きがあり、6日から罹災(りさい)証明の申請数での発表に切り替えた。液状化現象などの影響で住宅に被害が出たとみられる。新潟市を除いた県全体の住宅被害は計733棟となった。
 県によると、軽傷者が新潟市と上越市で1人ずつ増え、重軽傷を負ったり体調不良を訴えたりした人は計44人になった。

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